実家に帰るたびに、家具が増えていた話

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年に数回しか帰らない実家で、帰省のたびに見覚えのない家具が一つずつ増えていた。両親は「ずっとあった」と言い張り、写真の記録だけが静かに食い違いを証明し続けた。

これはおれが二十代の後半から数年かけて経験した話で、今もはっきりした答えは出ていない。書き残しておかないと、そのうち自分の記憶も書き換わってしまいそうで怖いから、ここに残しておくことにした。

おれは大学進学を機に実家を出て、それからずっと電車で四時間ほど離れた街で暮らしている。実家は山と山のあいだを縫うように走る国道沿いの小さな町にあって、県と県の境目に近い、どこにも属していないような場所だ。コンビニまで車で十分、最寄り駅まで二十分という土地で、親父とお袋の二人がひっそりと暮らしている。

帰省は年に二、三回。お盆と正月、あとは親父が体を壊した年に一度だけ追加で帰ったくらいだ。帰るたびに「また遠いところをわざわざ」と言われ、二、三日滞在しては戻る、そういうサイクルが何年も続いていた。

最初に気づいたのは、たしか二十七歳の正月だった。

元日の昼過ぎ、雑煮を食べ終えてリビングでごろごろしていたとき、ふと部屋の隅に見覚えのないラックがあることに気づいた。木製の、三段棚になった細長いやつで、上のほうに置物だとか、お袋が集めている小さなガラス細工が並べてあった。

「これ、いつ買ったの」

と聞いたら、お袋は台所から顔だけ出して「え、何が」と言った。ラックのことを言うと、「ああ、あれはずっとあるよ」と言った。

ずっとあるとは思えなかった。おれが高校生のころまで暮らしていたあの部屋に、あんな棚は存在しなかったはずだ。でも言い切れるほど確信があったわけでもなくて、「そうだっけ」と流して終わりにした。

この時点では、本当にただそれだけのことだった。

次に帰ったのは同じ年のお盆だった。帰省するたびにおれは習慣的に実家の写真を撮っている。旅行の記念みたいな大げさなものじゃなくて、ただスマホでパシャパシャと。家族の顔とか、食卓とか、玄関先の植木とか。これは学生のころからの癖で、自分でもよくわからない習慣だ。

で、お盆のとき、リビングを撮った写真を見ていたら気づいた。正月に撮った写真には、ラックが写っていた。だけどそれよりも前、二年前のお盆に撮った写真には、ラックが写っていなかった。

やっぱり途中で買ったんだ、と思った。お袋の記憶が曖昧なだけだろう、と。

そのお盆、新しく増えたものに気づいたのは帰る直前だった。二階の廊下に、低いサイドテーブルが置いてあった。白くて丸くて、脚が三本のやつ。上に何も置いていない、ただ廊下の壁際に立っているだけの、妙に存在感のあるテーブルだった。

「廊下にテーブルなんて置いて、どうするの」

と聞いたら、親父が「前からあっただろ」と言った。

前からあったか。おれにはそうは思えなかったが、また「そうだっけ」と引き下がってしまった。

翌年の正月。今度はきちんと家中の写真を撮ってから帰省した。事前に。出発前夜にスマホのストレージを整理して、二年分の実家の写真を見返した。そこで改めて気づいた。毎回、一つ増えている。

ラック。サイドテーブル。それだけじゃない。おそらく一回目に増えていたと思われるものが、もう一つあった。お袋の部屋の角に置かれた、アンティーク風の小さなスツールだ。おれが高校を卒業する前の年に撮った写真には、なかった。大学を卒業した年に撮った写真には、あった。その間に増えていた計算になる。

帰省するたびに、一つ。

ゆっくりと、静かに、一つずつ。

正月に実家に着いて、まず玄関に入った瞬間からきょろきょろと部屋を観察した。今回はどこに何が増えているのか。親父にもお袋にも何も言わずに、一人でリビングを、台所を、廊下を、二階の各部屋を見て回った。

見つけた。

仏間だった。仏壇のとなりに、細長い木製のキャビネットが置いてあった。引き戸が一枚ついていて、つまみが黒くて、年季が入ったような色合いをしていた。でも明らかに新しかった。木の合わせ目がまだきれいすぎた。

お袋を呼んで「この棚、新しく買ったの」と聞いた。

お袋は首を横に振った。「何言ってるの、仏壇のそばにずっとあるじゃない。おじいちゃんの代からある棚よ」

そう言いながら当たり前のように引き戸を開けて、中に入っていた線香の箱を取り出した。まるで何年もそこからそれを取り出してきたかのような、迷いのない動作だった。

おれは黙って、スマホを開いた。前の正月の写真。その前のお盆の写真。仏間を撮ったものを探した。

なかった。仏壇のそばには何もなかった。

「お袋、これ絶対に前はなかったよ。写真見てみて」

お袋はおれのスマホ画面をのぞき込んで、少しの間黙った。それから「あら、この角度からだと写ってないだけじゃない」と言った。

写ってないだけ、じゃない。そんな大きさのキャビネットが、ただ角度が悪いだけで一枚も映り込まないわけがない。

その夜、親父に話した。親父は最初は「そんなわけないだろ」という顔をしていたが、おれが写真を全部並べて見せると、しばらく黙り込んだ。

「……じゃあ誰かが持ってきたのか」

「それを聞いてる」

「知らん。俺は知らん。最初からあったと思ってた」

親父が嘘をついているようには見えなかった。お袋も同様だった。二人とも本当に、ずっとそこにあったと信じているようだった。記憶の中で、すでにその家具は実家の風景に溶け込んでいた。

その夜、おれは眠れなかった。布団の中で天井を見ながら、ずっと考えていた。

誰かが持ち込んでいるとしたら、親の知らないうちに家に入れる人間がいるということになる。でも実家は施錠されているし、合鍵を持っているのは親二人とおれだけのはずだ。

それとも、本当に最初からあったのか。おれの記憶が間違っているのか。でも写真がある。写真は嘘をつかない。

仏間のキャビネットが気になって、翌朝もう一度見に行った。引き戸を開けてみた。線香の箱の奥に、小さな折り畳まれた紙が入っていた。メモ用紙みたいな薄い紙で、丁寧に四つ折りにされていた。

広げると、何も書いていなかった。

白紙だった。

でも明らかに、誰かが意図的に折り畳んで、あそこに置いたものだった。そうとしか思えない几帳面な折り方だった。

お袋に見せたら「あら、なんだろ。昔から入ってたんじゃないの」と言った。

おれはその紙をポケットに入れて帰ってきた。今でも財布の中に入れてある。何かの答えになるかもしれないと思って、捨てられずにいる。

それが去年の正月の話だ。

今年の帰省は、まだしていない。お盆に帰る予定を立てているが、少しだけ怖い。また一つ増えているとしたら、どこに、何が置かれているのか。そしてその家具の中に、また何かが入っているんじゃないかという気がしている。

おれが恐ろしいのは家具そのものじゃない。

怖いのは、両親が本当に気づいていないことだ。毎回、まるで記憶ごと書き換えられているかのように、ずっとそこにあったと言い張る。二人とも、疑うそぶりも見せない。

そして今年、お袋から電話が来たとき、ちょっとしたことが引っかかった。「そういえば縁側の横に棚を置いたら使いやすくなったわ」という話を、何気なくされた。

おれは「いつ置いたの」と聞いた。

「ずっと前からあるわよ。なにを今更」

電話だったから、写真は撮れていない。確認もできない。

ただ、今年の帰省で縁側を見れば、わかる。

ずっとそこにあったのか、新しく増えたのか。そして中に何か入っているのか。

帰りたいような、帰りたくないような、そういう気持ちで今年の夏を待っている。

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