毎晩見る同じ夢の中で、ある角を曲がるたびに景色が少しずつ変わっていく。気づいたとき、私は夢の外でも何かを失い始めていた。
最初は、ただの夢だと思っていた。
夢を見る人間なんて世の中にごまんといるし、繰り返し同じ夢を見ることだってある。受験の前になると階段を走る夢を見るとか、好きだった人が出てくる夢を何度も見るとか、そういう話は誰でも持っているものだ。だから私も最初のうちは、「また同じ夢か」と思う程度で、起きてしまえばすぐに忘れていた。
その夢が始まったのは、確か去年の秋ごろだったと思う。私はそのとき、勤めていた会社を辞めて少し気持ちが落ち着かない時期で、近所の古い団地に一人で引っ越したばかりだった。知り合いも少なく、日中は求職活動をして、夜は早めに眠るような生活を送っていた。夢を見やすい条件が揃っていたのかもしれない。
夢の舞台は、いつも決まっていた。住宅地の中の、どこにでもあるような路地だ。両側に低い塀と古い民家が並んでいて、電柱が一定の間隔で立っていて、アスファルトの継ぎ目が等間隔に続いている。夕暮れとも夜ともつかない、薄暗い時間帯。風はなく、音もほとんどない。私はその路地をひとりで歩いていて、特に目的地はない。ただ歩いているだけだ。
そして必ず、一か所だけ角がある。路地の途中、右に折れる角。そこを曲がると夢が終わる。目が覚める。それが毎回の流れだった。
しばらくは本当に気にしていなかった。毎晩同じ夢というわけでもなく、週に何度か見る程度だったし、内容も怖くも不思議でもなく、ただ静かな路地を歩いて角を曲がるだけだ。目覚めたあとに何か残るわけでもない。ただ「ああ、またあの夢か」と思って、洗顔して、それで終わりだった。
変化に気づいたのは、二か月ほど経ってからだと思う。
ある朝、夢から覚めて、なんとなく昨夜の夢を思い返していた。路地を歩いて、角を曲がった。そのとき一瞬だけ、角の向こうに何かが見えた気がした。普段は角を曲がると同時に目が覚めるのに、その日は一瞬だけ、向こう側の景色が目に入った。夕焼けの色をした空と、見知らぬ通りの遠景。それだけだった。でも私は布団の中で、なんとなく引っかかりを感じた。
その翌週、また同じ夢を見た。路地。電柱。塀。角。今度は曲がった先が少し長く見えた。細い坂道が続いていて、遠くに木が一本立っていた。目が覚めたとき、私は妙に心拍が速かった。怖かったというより、何か焦るような感覚。なぜ焦るのか、自分でもわからなかった。
そのうち、毎回少しずつ角の向こう側が「開いて」いくような感覚になってきた。最初は一瞬だけ。次は数秒。その次はもっと長く。まるでカーテンを少しずつ引き開けていくように、曲がった先の景色がはっきりと見え始めていった。
そして私は夢の中で、あることに気づいた。角の向こう側は、毎回違う景色なのだ。
ある夜は、夜の田んぼの中の一本道だった。遠くに民家の明かりが一つだけ灯っていた。ある夜は、コンクリートの壁に囲まれた狭い路地で、上を見上げると電線が何本も交差していた。またある夜は、商店街のシャッターが閉まった通りで、どこかの店の看板が一枚だけ風でゆらゆらと揺れていた。どれも見覚えのない場所だった。でも夢特有のあいまいさがあって、「知らない」とも言い切れない、そういう景色だった。
問題は、景色が変わるだけでなく、景色の中に何かが「いる」ことがある、という点だった。
はっきりと人が立っているわけではない。遠くに人影のようなものが見える、という程度だ。田んぼの一本道の夢では、道の先に何かが立っていた。遠すぎて輪郭しかわからない。コンクリートの路地の夢では、正面の突き当りに、こちらを向いているような影があった。商店街の夢では、シャッターの前に誰かが腰かけているような気がした。どれも「いる」と断言できるほどはっきりしていない。でも「いない」とも言えない。
そしてどの夢でも、私はそこに踏み込まなかった。角を曲がった先の景色を眺めて、そのまま目が覚める。入っていきたいとも思わなかったし、逃げなければという気持ちもなかった。ただ、見ている。それだけだった。
年が明けてしばらく経った頃、私はあることに気づいた。ひどく些細なことに聞こえるかもしれないけれど、私は最初に話したように一人暮らしで、日常の記録をつける習慣があった。手帳に、その日食べたものとか天気とか、簡単なことを書き留めていた。あるとき、夢を見た夜のページを見返していたら、気になることがあった。夢を見た翌日の記録が、なんとなく妙なのだ。
記録自体はある。食事の内容も書いてある。でも読み返してみると、内容がどこか、私の感覚と食い違っている。「スーパーで買い物した」と書いてあるのに、そのスーパーに行った記憶がない。「友人のSさんと電話で話した」と書いてある日があったけれど、私にはSという友人がいない。Sってだれだろうと考えても、思い当たらない。書いた記憶自体はある気がするのに、内容が自分のものじゃないみたいだった。
手帳の字は、間違いなく私の字だった。
私はその頃から、夢の記録を別のノートにつけ始めた。夢を見たら、起きてすぐに、どんな景色だったかを書き留める。すると面白いことがわかった。角の向こう側の景色が変わるたびに、翌日の手帳の記録もどこかおかしくなっていた。毎回必ずというわけではない。でも、景色の「変化が大きかった」夜の翌日ほど、記録の食い違いが大きい気がした。
それでも私は、誰にも相談しなかった。仕事が決まったのがちょうどその頃で、新しい職場のことで頭がいっぱいだったし、「夢を見て、手帳の内容がおかしい」と話して、信じてもらえる気もしなかった。ストレスのせいだろうと自分に言い聞かせて、なるべく考えないようにしていた。
春になって、私は職場で一つ気になることがあった。同僚の女性に、「この前、駅の近くで見かけましたよ」と声をかけられたのだ。「先週の水曜日、夕方ごろ。バスのターミナルのそば、商店街の入り口あたりで」と言う。私はその日、ずっと家にいた。外に出た記憶がない。でも彼女は確かに見たと言う。私に似た人を見たのだろうと思って、笑ってごまかした。
その夜に夢を見た。路地。電柱。塀。角。曲がった先は、あの商店街だった。シャッターの閉まった通りに、看板が揺れていた。そして今回は、今までより近くに、人がいた。シャッターの前に立っていて、こちらを向いていた。遠くはない。顔がわかるくらいの距離。
私は夢の中で、その顔を見た。
目が覚めた瞬間、顔の記憶だけが、霧の中に消えるみたいにすっと消えた。覚えているのは、「見た」という事実だけ。どんな顔だったかが思い出せない。ただ一つだけ残っているのは、私がその顔を「知っている」と感じた、ということだ。夢の中の私は、確かにそう感じていた。
それから数週間後、私は手帳の記録を一冊分、最初のページから読み返した。引っ越してきた去年の秋から、今日まで。最初は普通だった。でも秋の終わり頃から、少しずつ、私の知らない記録が混じり始めていた。知らない人の名前。行った覚えのない場所。食べた記憶のない食事の記録。
そしてページを繰っていくうちに、ある日のページで手が止まった。そこにこう書いてあった。
「また角を曲がった。向こうに戻れた」
私にはこれを書いた記憶がない。でも字は私のものだ。日付は、引っ越してすぐの時期。夢を見始めたと思っていた、ちょうどその頃だった。
今でも夢は見る。路地を歩いて、角を曲がる。向こう側の景色は、毎回違う。ただ最近は、角を曲がった先に立っている人が、以前より少し近い気がしている。近づいてくるのか、私が近づいているのかはわからない。
そしてもう一つ。最近気になっていることがある。私の部屋の、玄関の鍵のことだ。朝起きると、鍵が必ず閉まっている。それはおかしくない。おかしいのは、私が夜に施錠する習慣があって、その鍵が朝になると向きが変わっていることがある、という点だ。外からかけると、つまみの向きが一方向に。内側からかけると、逆に向く。それだけの違い。でも朝に確認すると、ときどき向きが内側からの状態になっている。
一度だけ、思い切って角の向こうに踏み込もうとしたことがあった。夢の中で、足を一歩前に出した。そのとき初めて、向こう側から音がした。足音だった。
その夜は、そこで目が覚めた。
今のところ、それ以上のことは何も起きていない。でも手帳には今日も記録が続いている。私が書いた記録と、誰かが書いたような記録が、区別もつかないまま混ざり合いながら。


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