拾ったノートに書かれていた夢の話

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古本屋の近くで拾ったボロボロのノート。そこには、私が見てきた夢と、まったく同じ夢が、見知らぬ誰かの筆跡で記されていた。

それを拾ったのは、去年の秋の終わりごろだった。

場所は、私が住んでいる町の外れにある商店街。シャッターの降りた店が多くて、昼間でもなんとなく薄暗い、あまり人が来ないような通りだ。その一角に古本屋があって、私はたまにそこへ足を運んでいた。店主は六十代くらいの無口な男性で、値段交渉も世間話もしない人だったけれど、品揃えが独特で、どこにでもあるような本屋では見つけられないものがよく並んでいた。

その日も特に目当てがあったわけじゃなく、なんとなく立ち寄って、文庫本を一冊買って出てきたところだった。店の前の細い路地を歩いていたら、排水溝の脇に何かが落ちているのが目に入った。最初はただの紙くずかと思ったんだけど、近づいてみるとノートだった。大学ノートくらいの大きさで、表紙が茶色に変色していて、角が全部めくれあがっている。かなり使い込まれた感じがした。

拾い上げると、ずっしりとした重さがあった。落としたばかりというよりは、随分前からそこにあったような、そういうくたびれ方をしていた。表紙には何も書いていない。落とし主を探す気持ちもあって、中を少し開いてみた。

最初のページに、日付と短い文章が書かれていた。筆跡は女性的な、丸みのある字だった。

「また同じ場所だった。白い廊下。突き当りに窓。外は曇り空で、何かが動いていた」

読んだ瞬間、胸のあたりが妙にざわついた。それが何なのか、うまく説明できなかったけれど、とにかく落ち着かない感じがした。

私は、夢日記をつけている。もう三年以上になる。眠りが浅くてよく夢を見るたちなので、書き留めておかないとすぐに忘れてしまうから始めたことだ。そしてそのノートに書かれていた「白い廊下」と「突き当りの窓」というのは、私が繰り返し見る夢の中に出てくる場所と、ぴったり一致していた。

偶然だと思った。よくある夢の描写かもしれない、と。廊下も窓も、夢の中ではありふれたものだ。でもページをめくる手が、自分でも気づかないうちに早くなっていた。

次のページ、そのまた次のページと読んでいくうちに、私の足は路地の端のブロックの上に座り込んでいた。寒いのも忘れて、ページをめくり続けた。

書かれていた夢の内容は、どれも細部まで妙に具体的だった。廊下の床がリノリウムで、歩くとわずかに軋む感触があること。窓の外の空がいつも同じ灰色で、雲がほとんど動かないこと。廊下の左側にだけ、等間隔でドアが並んでいること。でもどのドアにもノブがなくて、開けることができないこと。

私が自分のノートに書いた夢と、まったく同じだった。

同じ、というのは「似ている」という意味ではない。細部の描写が一致している、ということだ。「左側にだけドアが並んでいる」なんて、言われてみれば確かにそうなのだが、夢日記に書くまで自分でも意識していなかった。なのにこのノートには、同じ観察が同じ言葉で記されていた。

私はスマートフォンを取り出して、自分の夢日記アプリを開いた。写真で保存している手書きのページと、拾ったノートのページを見比べた。書いている人間は違う。筆跡も違う。でも内容が、ほぼ同じだった。

そのままノートを持ち帰った。落とし主に連絡する手段もなかったし、正直なところ、手放すことができなかった。

家に戻って、改めてゆっくり読み込んだ。ノートには日付が書かれていたけれど、年の表記がなかった。一月から始まって十月まで、ほぼ毎日記録されている。夢を見なかった日は「なし」とだけ書かれている、丁寧なつけ方だった。

気になったのは、私の夢日記と時系列がずれているらしいことだ。私が初めてあの廊下の夢を見たのは、二年半くらい前だ。でもノートの最初のほうのページには、もうすでに「また白い廊下だった」と書かれている。「また」という言葉は、それ以前にも見ていたことを示している。つまりこの人は、私よりも前から、同じ夢を見ていたことになる。

ノートの途中から、夢の内容が少しずつ変わり始める。廊下を歩く距離が、以前より長くなっているという記述が増えてくる。ドアの数が増えているとも書かれていた。そして、廊下の突き当りの窓の外に「以前はいなかった何かが立っている」という記述が出てきた。

そこで私は、自分の夢日記を確認した。

同じだった。私の記録にも、数か月前から「窓の外に何かいる」という記述がある。シルエットだけで、顔はわからない。動いているのか静止しているのかも判断できない。夢の中の私はいつも遠くからそれを見ているだけで、近づこうとすると目が覚める。

ノートを読み進めると、筆跡が段々と乱れてくる箇所があった。後半になるほど、文字が大きくなって、力が入りすぎているのか、ところどころ紙が少し凹んでいる。

ある日付のページに、こう書かれていた。

「今日は窓のそばまで行けた。外にいるのは人の形をしているけれど、人ではないと思う。ガラスに手をついて、こちらを見ていた。顔がない」

私はそのページで一度ノートを閉じた。深呼吸して、お茶を淹れて、もう一度開いた。

私はまだ、窓のそばまで行けたことがない。夢の中でいつも途中で目が覚めてしまう。だからそこから先のことを、私は知らなかった。

でもこのノートには、続きが書いてあった。

「顔がないのに、わかった。私のことを知っている。ずっと待っていた、という気がした。怖くなかった。それが一番怖かった」

その次のページから、日付が飛んでいる。十日ほどの空白がある。再開されたページの文字は、それまでとは打って変わって小さく、震えるように細い。

「夢を見なくなった。というより、眠れなくなった。あの場所に行くのが怖いのではなくて、行けなくなった気がする。呼ばれなくなった、という感覚が正確かもしれない」

そしてその少し後のページに、こんな一文があった。

「夢に出てくる廊下に、新しいドアができていた。ノブがついている唯一のドア。でも私にはもう開ける気力がなかった。次に行ける人がいれば、開けてほしい」

それが、ノートに書かれた最後の記述だった。残りのページはすべて白紙だった。

私はしばらく、その最後のページを眺めていた。

その夜、久しぶりにあの廊下の夢を見た。いつもと同じ白い廊下、リノリウムの床、左側に並ぶドア。でも廊下の一番奥、窓のすぐ手前に、一つだけ違うドアがあった。古びた木のドアで、丸い真鍮のノブがついていた。

夢の中の私は、そのドアに向かって歩き始めた。

廊下が長かった。ドアはなかなか近づいてこなかった。でも今回は目が覚めなかった。歩き続けた。ドアの前に立った。ノブに手をかけた。

そこで目が覚めた。

朝の光の中で天井を見上げながら、私はゆっくりと起き上がった。手のひらを見た。夢の中でノブに触れた感覚が、まだ残っているような気がした。金属の、少し冷たい感触。

夢日記を開いて、昨夜のことを書き留めた。書きながら、一つのことが気になっていた。

あのノートを拾う前、私には一度も「ノブがついたドア」が夢に出てきたことはなかった。

そして拾った日の夜から、出てきた。

ノートに書いてあることを読んだから夢に影響が出た、という説明は成り立つ。それは確かにあり得る話だ。暗示というか、思い込みというか。

でも私が気になっているのは別のことだ。あのノートを落とした人は、誰なのか。私と同じ夢を見ていた人が、本当にいたのか。そしてその人は今も、あの廊下に行けているのか、それとも「呼ばれなくなった」まま今に至っているのか。

古本屋の店主に、次に行ったとき聞いてみた。あの路地で何か落とし物をしたお客さんがいなかったか、と。店主はしばらく考えてから、首を横に振った。そしてひとこと、こう言った。

「あの路地に入る人は、あまりいませんよ。うちに来るお客さんでも、あそこを通る人はほとんどいない」

私はノートを拾った路地を、もう一度歩いてみた。確かに細い路地で、わざわざ通ろうとしなければ入ることもない場所だった。ノートは排水溝の脇にあった。随分くたびれた状態で。

誰かが意図的に置いたのか、それとも本当にたまたま落ちていたのか。

今もわからない。

ノートは今、私の夢日記の隣に並べて置いてある。最後の白紙のページが何十枚もある。私はまだ、そこに何も書いていない。

書く必要が出てくるかどうか、今はまだわからないから。

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