毎週決まった曜日に届く荷物。差出人の名前に見覚えはないのに、中身を見るたびに「ああ、そうだった」と思ってしまう。自分の記憶がどこかからすり替わっていくような、静かな恐怖の話。
荷物が届くようになったのは、去年の秋ごろだったと思う。
引っ越して三ヶ月が経ったころで、ようやく新しい部屋にも慣れてきた時期だった。仕事も落ち着いていて、特に変わったことのない、静かな一人暮らしをしていた。
最初の荷物は、金曜日の午後に届いた。インターホンが鳴って、宅配業者の人が中くらいのサイズのダンボール箱を持ってきた。送り状には私の名前と住所が書いてあって、差出人の欄には「ミヤケ」とだけあった。住所は県内ではあるけれど、具体的な地名より先が妙に読みにくい字で書かれていて、はっきり判別できなかった。
ミヤケ、という名前に見覚えはなかった。ネットショッピングの注文履歴を確認したけれど、そこから来た荷物ではない。友人や知人に「ミヤケ」という苗字の人はいなかったし、実家の母に聞いても心当たりはないと言われた。
でも、箱を開けてみたら、中に入っていたものを見た瞬間に、変な感覚があった。
「ああ、これか」と思ってしまったのだ。
中身は、保湿クリームと、ハーブティーのティーバッグが数種類と、小さなキャンドルが一本だった。全部で五点か六点くらい。どれも使いさしや開封済みではなく、きちんと新品だった。
見覚えのないものばかりのはずなのに、なぜか「これか」と思った。その感覚が気持ち悪くて、しばらくテーブルに並べて眺めていたけれど、何も思い出せなかった。
注文した記憶はない。でも捨てるのも変な気がして、とりあえず棚に並べておいた。
次の荷物が届いたのは、ちょうど一週間後の金曜日だった。
また同じ宅配業者で、箱のサイズも似ていた。差出人は同じ「ミヤケ」。住所の字はやはり読みにくく、前回と同じものかどうかもよくわからなかった。
今度の中身は、薄い文庫本が一冊と、乾燥した花が束になったもの、あとは小さなノートだった。文庫本は聞いたことのない著者の名前で、表紙に書かれたタイトルも記憶になかった。ノートは白紙だった。
でもやっぱり、箱を開けた瞬間に「ああ」と思った。
今度は少し違う感覚で、懐かしいような、当然のような、そういう感じだった。気持ち悪いとかではなく、もっと馴染んだ感触。まるで自分が誰かに頼んでいたものが届いた、みたいな。
おかしい、と思った。
職場の同僚に話したら、「誰かの嫌がらせじゃないの」と笑われた。確かにそれも考えたけれど、送られてくるものが全部、どこか私の好みに合っているのが引っかかっていた。保湿クリームはいつも使っているブランドのものではなかったけれど、香りは私が好きなタイプで。ハーブティーも、最近試してみたいと漠然と思っていた種類で。文庫本は読んだことはないけれど、表紙を見ていたら読みたくなってきた。
気持ち悪い話だと思いながらも、その週から文庫本を読み始めた。
三週目、四週目と、荷物は毎週金曜日に届き続けた。
三週目はアロマオイルと、小さな絵葉書が数枚。絵葉書には何も書かれていなかった。四週目はキッチン用の小さな道具と、乾物の食材がいくつか。どれも生活になじむもので、奇妙なものは一つも入っていなかった。
一度、宅配業者の窓口に電話して問い合わせてみた。送り状の番号を読み上げて、差出人の住所を確認してほしいと頼んだのだけれど、担当の人が確認に時間をかけた末に、「その番号の配達記録が見当たらない」と言ってきた。控えを持っているのに、記録がないという。番号を読み間違えたかと思って二度確認したけれど、やはり見つからないと言われた。
その電話のあとから、少し怖くなってきた。
五週目の荷物には、小さな手鏡が入っていた。今までの中では少し毛色が違う気がして、取り出してしばらく見ていた。裏面に細かい模様が彫られていて、古道具みたいな雰囲気があった。汚れてはいなかったけれど、新品というよりは、長く誰かが大切にしていたような、そういう質感だった。
その手鏡を見ていたとき、ふと思ったことがある。
「これは、前にも持っていたことがある」
そう感じた。でも、そんな鏡を持った記憶は本当にどこにもなかった。実家暮らしの頃も、一人暮らしを始めてからも、こういう細工のある手鏡を使った記憶がない。なのに「知っている」と感じた。しかも、単に見覚えがある、という感じではなく、もっと個人的な、自分にとって意味のあるものだったという感覚だった。
怖いというより、自分の感覚が信用できなくなってきた。
六週目の金曜日、荷物を待ちながら、部屋の棚に並んだものを眺めていた。五週間分の荷物から出てきたものが、少しずつ部屋の中に馴染んでいた。キャンドルはすでに一度使っていたし、ハーブティーも何杯か飲んでいた。文庫本は読み終わっていた。
そこで気づいた。
こういうものが部屋にあることが、当たり前になっている。
最初に届いたときの「見覚えがない」という感覚が、今はもうない。保湿クリームはいつの間にか毎日使っていたし、ノートには読んだ本のメモを書き始めていた。手鏡は洗面台の脇に置いていた。全部が、最初から自分のものだったみたいに、生活の中にある。
六週目の荷物は、夕方少し遅い時間に届いた。
開けると、また日用品が数点。今回はヘアオイルと、布製のブックカバーと、小さな写真立てだった。写真立ては木製で、中には何も入っていなかった。
写真立てを手に持って、ふと考えた。
これに何を入れるんだろう。
考えてすぐ、「誰の写真を飾るつもりなんだろう」と思い直した。一人暮らしで、写真立てを部屋に飾る習慣はなかった。でも箱を開けた瞬間には「ああ」と思ってしまっていた。
その夜、久しぶりに実家の母に長電話した。特に理由はなかったけれど、なんとなく声を聞きたかった。
電話の終わりに、ふと「ミヤケって名前、お母さんに心当たりない?」ともう一度聞いた。最初に荷物が届いたときにも聞いたはずの質問だった。
母は少し沈黙してから、「さあ、知らないわねえ」と言った。「ミヤケって苗字の人は、あんたのお祖母ちゃんの親戚にいたけど、もうみんないないでしょうね」と付け加えた。
「お祖母ちゃんの親戚」
私の祖母は、私が小学校に上がる前に亡くなっている。記憶もほとんどない。その親戚と言われても、接点があったはずがなかった。
「その人たち、今どこにいるの」と聞いたら、母は「さあ、もう絶えたんじゃないかしら。昔、県境の方に住んでた人たちだけど」と言った。
県境の方。
送り状の住所に書かれた、読みにくかったあの文字。もう一度思い出そうとしたけれど、細部がぼやけていて思い出せなかった。控えとして手元に置いておいた送り状を引っ張り出してみると、住所の欄の字が、最初から読みにくかったのか、それともにじんでいるのか、判別ができなかった。
七週目の金曜日、荷物は届かなかった。
午後ずっと待っていたけれど、インターホンは鳴らなかった。翌週も、その翌週も、それから荷物は一度も来ていない。
ミヤケという差出人からの荷物は、突然止まった。
今でも、あのものたちは部屋の中にある。手鏡は洗面台の脇に、写真立ては棚の上に、ノートはまだ途中まで使っている。文庫本は本棚に並んでいる。どれも手放す気にならないし、不思議と捨てようと思わない。
ただ、一つだけ引っかかっていることがある。
先月、部屋を掃除していて、棚の隅から文庫本が出てきた。五週目に荷物で届いた、あの読んだことのない著者の本だ。読み終わって本棚に入れたはずなのに、なぜ棚の外に出ていたのかわからなかった。とりあえずそのまま手に取って、何気なくページをめくった。
本の最後のページ、奥付の裏に、鉛筆で何か書かれていた。
私の字に、似ていた。
でも私はその本に、何も書いた記憶がない。
書かれていたのはたった一行で、日付のようなものと、短い言葉だった。日付は去年の秋の、荷物が届き始めるよりも少し前の日付だった。言葉の意味は、読んだ瞬間になんとなくわかった気がしたけれど、今は何と書いてあったか、うまく思い出せない。
思い出せない、というより、思い出そうとすると、するりと逃げていく感じがする。
写真立てには、今も何も入れていない。

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