一人暮らしを始めてから、本棚に見覚えのない本が少しずつ増えていった。誰も来ていないはずの部屋で、何かが着実に「場所を作っている」。
本棚の整理をしていて、最初に気づいたのは去年の秋の終わりごろだった。
俺はその年の春から、県境に近い小さな町で一人暮らしを始めた。仕事の都合で引っ越してきた場所で、知り合いも少なく、休みの日は家で本を読んで過ごすことが多かった。もともと読書が好きで、段ボール六箱分の本を新居に運び込んだくらいだ。本棚は自分で組み立てた背の高いやつを二本、壁に並べた。それで間に合わないぶんは床に積み上げていた。
最初に違和感を覚えたのは、タイトルを覚えていない本が一冊あったときだった。
棚の中段、ちょうど目の高さにある段に、黒っぽい背表紙の文庫本が挟まっていた。取り出してみると、知らない著者名が書いてある。読んだ記憶がない。まあ、昔買ってそのまま積んでいた本が紛れ込んだんだろうと思った。引越しの梱包はかなり雑にやったので、記憶にない本の一冊や二冊があっても不思議じゃない。パラパラとめくって、興味が薄かったのでそのまま棚に戻した。
それから二週間ほどして、また一冊、見知らぬ本が出てきた。
今度は単行本だった。ハードカバーで、表紙に草原の写真が使われている。書いてある文字は日本語なのに、タイトルを見てもどんな内容なのか全くイメージできない抽象的なタイトルだった。著者名も出版社も、見たことがない。奥付を見ると、発行年が書いてあった。五年前の日付だ。俺は五年前にその出版社の本を買ったことがあるだろうかと考えたけれど、全く心当たりがなかった。
この時点ではまだ、自分の記憶違いだと思っていた。
人間の記憶はいい加減なものだ。買ったこと自体を忘れている本なんてたくさんある。ましてや引っ越したばかりで生活も慌ただしかった。俺は少し丁寧に本棚を確認しようと思って、週末に棚の本を全部出してリストを作ることにした。
タイトル、著者名、覚えているかどうか。三列のメモ帳に書き出していった。
全部で二百十七冊。そのうち「覚えていない」に丸をつけた本が、八冊あった。
八冊。さすがにそれだけあると、記憶違いでは済まない気がした。ただ、証明する方法もなかった。購入履歴を調べようとしたけれど、ネット通販でないものも多かったし、古本屋で買ったものもある。確認のしようがなかった。
俺は気持ちを落ち着かせるために、その八冊をまとめて段ボール箱に入れて押し入れにしまった。見えないところに置いておけば、あとで確認しやすくなると思ったからだ。
それから一ヶ月ほど、何も起きなかった。
年が明けて、正月に実家に帰って戻ってきたとき、久しぶりに部屋に入ったら少しだけ違和感があった。空気がよどんでいる感じ、とでも言うのか。一ヶ月近く締め切っていたんだから当然だ、と思いながら窓を開けて換気した。
そのとき、本棚に目が行った。
黄色い背表紙の本が一冊、棚の端に立っていた。色が派手なので、すぐ目についた。取り出してみると、やはり見覚えがない。タイトルは「午後の記録」という、短くてシンプルなものだった。著者名は漢字三文字の、一見ありふれた名前に見えるが、やはり記憶にない。
俺は帰省中、ずっと実家にいた。誰かが部屋に来たとすれば、合鍵を持っている管理会社の人間くらいだ。緊急の修繕かなにかであれば事前連絡があるはずで、そういう連絡は来ていなかった。
押し入れに入れた段ボールを引っ張り出して開けてみた。八冊、全部ある。減っていない。増えただけだ。
そこから俺は、本棚を写真で記録しておくことにした。スマートフォンで棚を段ごとに撮影して、日付をつけて保存する。これで新しい本が現れれば、前後の写真を比較して確認できる。
二月の終わりに、また一冊増えた。
写真と比較すると、中段の左端に挟まっていた本が、二段下の右端に移動していて、その隙間に知らない本が入り込んでいた。薄い本で、本というよりパンフレットに近い製本だった。表紙は白くて、タイトルが縦書きで印刷されている。「家の中の時間について」。著者名の欄は空白だった。
俺はその本を開いた。
中身はエッセイ風の文章だった。語り口は穏やかで、読みやすい。内容は、家の中で時間の流れ方が変わる場所がある、という話だった。台所の隅とか、押し入れの奥とか、本棚の端とか。そういう場所では、時間が滞留する、と書いてあった。滞留した時間には、物が引き寄せられてくる。その物は、持ち主のいない物だと。
俺は読み終えてから、少し考えた。
フィクションか、民俗学的な読み物か、あるいは誰かの自費出版か。判断はつかなかった。ただ、妙に具体的に感じた。本棚の端、という記述が特に引っかかった。俺の棚で本が現れるのは、必ず端か中段の端の方だ。真ん中の段に、整然と並んでいる部分には出てこない。
その夜、俺は一つ試しにやってみた。
本棚の右端、本が現れやすい場所を、意識的に空けておいた。数冊を引っこ抜いて、そこだけ空間を作った。蛍光灯を消して、部屋を暗くして、そのまま寝た。
朝起きて確認すると、空けた場所に本が一冊立っていた。
昨夜確かに空けた場所だ。俺は眠れていたし、夜中に起き出した記憶もない。本は小さなサイズのもので、文庫より一回り小さかった。表紙は薄茶色で、タイトルは「隣」とだけ書いてあった。著者名はなかった。
俺は開けなかった。
なんとなく、開けてはいけない気がした。直感というか、本を手に取った瞬間に、妙な感触があったからだ。重さが、薄さのわりに重すぎる。いや、逆か。軽すぎる。どっちだったか、後で思い返すと曖昧になってしまって、正確には言い表せない。
その本は押し入れの段ボールに加えた。
その後、三月から四月にかけて、本は増えなかった。俺は少し安心して、写真記録も少しさぼるようになった。
五月の連休に、友人が泊まりに来た。
一晩だけで、翌朝帰っていった。帰り際に、玄関で友人が少し不思議そうな顔をした。
「本、好きなの?」
「まあ、好きだけど」
「棚、すごいね。あれ、全部読んだやつ?」
「ほとんど。一部は積ん読だけど」
「ふうん」と友人は言って、それだけで帰っていった。
翌週、友人からメッセージが来た。短い内容で、「あの棚の、一番上の段の右側に立ってた赤い本、なんだった?」と書いてあった。
俺には心当たりがなかった。赤い本。棚の一番上は手が届きにくいので、あまり意識していなかった。確認しに行ったら、確かに赤い背表紙の本が一冊あった。友人が来た日の写真にはない本だった。
友人に「なんで気になったの?」と聞くと、「眠れなくて夜中に水飲みに起きたとき、本棚の前に立って、その赤い本だけじっと見てた」と返ってきた。
俺が「そんな記憶ある?」と聞くと、「ない。でも起きたらソファじゃなくて本棚の前で立ってた」という答えが来た。
友人には悪いけれど、それ以来泊まりには来てもらっていない。
今は、本が合計で二十三冊増えている。押し入れの段ボールが一箱と半分になった。写真での記録は続けていて、ペースは不規則だが、月に一冊か二冊のペースで増え続けている。
俺はまだこの部屋に住んでいる。
引っ越しを考えないわけじゃないが、何か躊躇している自分もいる。うまく言えないんだけど、本を置いていくのが、なんとなく、ためらわれる。置いていったら、本がどうなるか、それが少し、気になってしまっている。
最近は写真を撮るたびに、一冊一冊のタイトルも記録するようにした。増えた本のリストを眺めていたら、一つ気づいたことがある。
最初に増えた八冊と、それ以降に増えた本とで、著者名の欄が微妙に違う。最初の八冊には、読めない名前でも名前はあった。でも最近増える本は、著者名が空欄か、あるいは名前の欄そのものが印刷されていないものが多い。
まるで、だんだん、誰かのものでなくなっていくみたいに。
あるいは、最初からそういうものが、来るべき場所に来ているのかもしれない。
俺にはまだ、どっちなのか分からない。

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