お盆に訪れた山あいの集落で、私はずっと「温かい場所」に引き寄せられていた。けれど後になって気づく。温かかったのは、場所ではなかった。
これを書いているのは、あの集落から戻って三週間が経ったあとのことだ。
記録しておかないと、また忘れてしまいそうで怖い。というか正直に言うと、すでにいくつかの記憶が霞みはじめている。だから、覚えているうちに書く。
去年の八月、お盆の時期に、私は友人の実家に泊めてもらった。友人の名前はミサキといって、同じゼミの子だ。「実家が山のほうにあるんだけど、お盆に帰るから一緒に来ない?田舎体験ができるよ」と誘われたのがきっかけだった。私は都市部の育ちで、正直なところ山あいの集落というものにロマンを感じていたし、ゼミの発表が終わってひと段落していた時期だったので、断る理由もなかった。
ミサキの実家があるのは、県境のあたりにある小さな集落だった。最寄りの駅からバスで四十分、そこからさらに車で山道を二十分ほど登ったところにある。地図で見ると、集落の名前すら表示されないくらいに小さな集まりだ。十数軒の家が、山の斜面に沿うように並んでいる。
着いたのは夕方の五時頃だった。車の窓から外を見たとき、最初に思ったのは「暗い」ということだった。まだ陽は沈んでいないのに、山の影がすでに集落全体を覆っていて、家々の輪郭がぼんやりとしている。ミサキは「夏でも涼しいんだよ」と言っていたが、確かに下界の熱気とは別の空気が漂っていた。
ミサキの実家は古い平屋で、縁側のある昔ながらの日本家屋だった。お母さんとお父さんが出迎えてくれて、「遠いところからよく来てくれた」と言ってくれた。夕食は囲炉裏を囲んで食べた。お盆だから、と仏壇にもお供えがしてあって、先に亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんの写真が飾られていた。
その夜、私はミサキの部屋に布団を並べて寝た。
眠りに落ちるとき、ひとつだけ気になることがあった。
部屋が、妙に温かかった。
山の家だから夜は冷えると聞いていたし、実際に到着したときはひんやりしていたのに、深夜になるにつれて部屋の中がじんわりと温かくなっていく感覚があった。エアコンはない。窓も閉まっている。それなのに、どこかから熱が滲んでくるような、そういう感じ。体に毛布を被っているのに、じわじわと汗ばむくらいには温かい。
おかしいな、と思いながらも、私はそのまま眠った。
翌朝、ミサキに「夜、暑くなかった?」と聞いたら、「え?私、むしろ寒かったけど」と言われた。同じ部屋で、同じ布団を使っていたのに。
その日は昼間に集落の周囲を散歩した。お盆の時期だから、各家の前に迎え火の準備がしてあったり、お墓に花が供えられていたりした。山の空気は澄んでいて、景色は静かで綺麗だった。怖いとか不思議とか、そういう感覚は全然なかった。
ただ、散歩をしていて気づいたことがある。集落の外れに、少し離れた場所に一軒だけ、古い家があった。他の家よりも山の斜面の奥まった位置にあって、人が住んでいるのかどうかわからないくらいに、ひっそりとしている。ミサキに「あの家は?」と聞いたら、「ああ、空き家。ずっと前から誰もいないよ」と言っていた。
気になったのは、その家のそばを通ったときだ。
温かかった。
建物から、じわりと熱が出ているような感じ。八月の真昼間だから、日射しで温まっているだけかもしれない。でも、その家だけが妙に際立って温かくて、思わず立ち止まってしまった。「どうしたの?」とミサキに聞かれて、「なんでもない」と答えて、その場を離れた。
二日目の夜も、部屋は温かかった。
今度は確認しようと思って、夜中に一度起き上がって、温度計を見た。ミサキの部屋には古い温度計がかかっていて、指針は二十四度を示していた。真夏とはいえ山の夜に二十四度というのは高くはない。なのに体は汗ばんでいる。ミサキはぐっすり眠っていた。彼女の布団に触れてみると、ひんやりしていた。
私の布団だけが、温かかった。
三日目の朝、縁側でお茶を飲んでいたとき、ミサキのお母さんが隣に座った。世間話をしながら、ふとお母さんが「うちに慣れた?」と聞いてきた。「はい、とても居心地がいいです」と答えたら、お母さんは少し間を置いてから、こう言った。「この家、気に入ってくれる人と、そうじゃない人が分かれるのよね」。
意味がよくわからなくて、「どういうことですか」と聞いたら、「なんとなくね、この土地は、合う人と合わない人がいるみたい。昔からそう言われてて」と、それだけ言って話が終わった。
その日の午後、私はもう一度、あの空き家の前を通った。
今度は一人だった。ミサキが親戚の家に挨拶に行くのについていかず、少し散歩してくると言って、一人で歩き出した。
空き家の前に立ったとき、昨日より熱が強かった。日差しは昨日と同じくらいだったのに、建物から伝わってくる温度が明らかに違う。木造の壁に、手の甲をそっと近づけてみた。触れていないのに、じんわりと熱い。
そのとき、窓の向こうに、何かが動いた気がした。
カーテンがかかっていて、中はよく見えない。でも、何かが動いた。人影、というより、もっとぼんやりとした、輪郭のない揺らぎのような。
怖くなって、その場から離れた。
その夜、夕食の席でお父さんに聞いてみた。「あの奥の空き家、どんな人が住んでいたんですか」と。お父さんは箸を止めて、ミサキのお母さんと目を合わせた。少しだけ間があって、「昔からある家でね、随分前に一家で引っ越した。それからずっと空き家だよ」と言った。それ以上は聞けない雰囲気があった。
最終日の朝。
荷物をまとめながら、ふと自分の手を見た。
左の手首のあたりに、うっすらと赤みがあった。日焼けとも虫刺されとも違う、ぼんやりとした赤み。痛くもかゆくもない。ただ、触ると、そこだけが他の場所より温かかった。
車に乗り込んで、集落を離れる道の途中、後部座席から窓の外を見ていたとき、山の斜面にあの空き家が見えた。朝の光の中で、ひっそりと建っている。
窓から見える角度で、一瞬だけ、玄関の引き戸が開いて見えた。
気のせいかもしれない。距離もあったし、光の加減だったかもしれない。
でも、開いていた。
帰ってきてから、あの手首の赤みはすぐに消えた。二、三日で跡形もなくなった。部屋の温度も、眠るときに妙に暑いとか、そういうことは一切なくなった。
ただ、ひとつだけ、ずっと引っかかっていることがある。
帰りの車の中で、スマホで集落のあたりの地図を見ていた。あの空き家の場所を確認しようとして、マップを拡大したとき、ピンがひとつ、立っているのに気づいた。
ピンの名前は、何も書いていなかった。
位置だけが、示されていた。
それ自体は、ありうることだと思う。誰かが登録したものかもしれないし、地図アプリの誤表示かもしれない。
でも、私がそのピンをタップしたとき、画面に表示された「最終更新日時」が気になった。
その日の午前中、私がひとりであの空き家の前に立っていたのと、ほぼ同じ時間だった。
誰かがそこにいたのか、それとも私が何かを更新していたのか、今でもわからない。
あのとき、あの家の前で、私は何に近づいていたのだろう。
そして今もふと思う。
あの空き家から滲み出ていた温度は、そこに残っているものの温度だったのか。
それとも、私の体温が、何かに近づいていたサインだったのか。
手首の赤みが消えたことを、安心するべきなのか、それとも、別の何かが始まっている証拠なのか、私にはわからない。
わからないまま、三週間が経った。
今夜も、部屋は少しだけ温かい気がする。
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