毎晩、父が帰る時間が変わっていた

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父は毎晩同じ時間に帰ってくるはずだった。でも私は、いつからか「父の帰り方」が少しずつ違うことに気づき始めた。

父が死んだのは、私が中学二年生の秋のことだった。

急な話だったし、今でも信じられない気持ちは残っている。でも、これから話すのはその死そのものの話ではない。父が死ぬより少し前、私が気づき始めていたことの話だ。

うちは県境に近いひどく地味な町にあって、駅から徒歩十五分ほどの一軒家に、父と母と私の三人で暮らしていた。特別なことは何もない家だった。父は小さな会社に勤めるサラリーマンで、毎晩だいたい同じ時間に帰ってくる人だった。「だいたい」ではなく、本当にほぼ正確に、夜の七時十五分前後には玄関の鍵が開く音がした。私はそれを基準に宿題を切り上げるくらい、父の帰宅時間は家の中の時計みたいなものだったと思う。

最初に何かがおかしいと思ったのは、その秋の初め頃だった。

その日、父はいつもより五分ほど遅く帰ってきた。七時二十分過ぎ。それだけなら別に何も思わない。電車が遅れることも、寄り道することもあるだろう。でも、私が少し引っかかったのは、帰ってきた父がコートを脱ぐタイミングだった。

父はいつも、玄関に入ってすぐ右手にあるフックにコートを掛ける。それがどんなに寒くても暑くても変わらない。なのにその日、父はコートを脱がずにリビングまで入ってきて、椅子に座ってから脱いだ。母が「珍しいね」と言ったら、「あ、そうだな」とだけ返して、何でもなさそうに笑っていた。

私も笑った。でも何か、小さな棘が胸に刺さったままになった。

次の異変は、それから一週間ほど後だった。

夕食の席で、父がお茶を自分で注ごうとした。うちでは長年、お茶は母が注ぐ、という流れができていた。父が自分でポットを取り上げることは、私の記憶ではほとんどなかった。その日に限って父はさっさとポットを手に取り、自分のカップに注いで、「ああ、いいいい」と母の手を制した。母は一瞬きょとんとして、「どうしたの急に」と笑っていたけれど、私はその「どうしたの」がずっと頭に残った。

その後もぽつぽつと、そういうことが続いた。

父が新聞を読む順番が変わった。父はいつも一面から順に畳んでいくのに、ある日からスポーツ面を先に開くようになった。好みが変わったのかな、と思ったが、父は以前からスポーツにはほとんど興味を示さない人だった。私がそれを指摘すると、「最近ちょっと気になってな」とだけ言って、新聞の後ろにそっと顔を隠した。

父の笑い方も、どこか変わった。

元々父は笑い上戸ではないけれど、母のダジャレや私の冗談に、照れたように鼻から息を漏らす独特の笑い方をしていた。それがある時期から、口角を上げるだけの、薄い笑い方に変わっていた。鼻で笑う仕草が消えた。私は何度かそれを確認しようとして、意図的に父が笑いそうな話を振ってみたが、返ってくるのはいつも、どこか「教科書通り」のような笑顔だった。

おかしい、と思い始めたのはその頃からだ。

中学生なりに色々考えた。仕事が辛いのかな、体のどこかが悪いのかな、あるいは家族に言えない悩みでもあるのかな。思い切って母に話してみると、「あなたも感じてた?」と、母も声を少し落として言った。

母も気づいていたのだ。

母が言うには、父の体臭が変わった、ということだった。以前は仕事帰りに少し汗の混じった、でも嫌いじゃないお父さんの匂いがしたのに、最近は何か石鹸みたいな、清潔すぎる匂いしかしないと。「毎日シャワー浴びて帰ってきてるのかな」と母は言ったが、その目は笑っていなかった。

その頃から私は、父の帰宅時間を手帳にメモするようにした。

七時十八分、七時二十二分、七時十分、七時四十一分。

少しずつ、ばらけ始めていた。以前は五分以内に収まっていたはずの帰宅時間が、ある日を境にじわじわとぶれていた。帰ってくる時間が遅くなるだけならまだしも、七時ちょうどとか、六時五十分とか、妙に早い日も混ざり始めた。

ある夜、私は父に聞いてみた。

「最近帰り、バラバラじゃない?」

父は夕食中だった。箸を止めて、「そうか?」とだけ言った。

「前はほぼ七時十五分だったじゃん」

「そんなに気にしてたのか」と父は笑った。あの薄い笑い方で。「電車の時間が変わったんだよ、ダイヤ改正があってな」

でも私は、その路線にダイヤ改正があったという記憶がなかった。翌日、駅の掲示板を確認しに行ったが、ダイヤ改正のお知らせは貼っていなかった。

十月の中頃のことだった。

ある夜、父の帰りがひどく遅かった。九時を過ぎても玄関が開かない。母がそわそわしながらご飯を温め直して、私も宿題も手につかなくてリビングでぼんやりしていた。九時半過ぎ、ようやく鍵の音がした。

父が入ってきた瞬間、私は何か、うまく言葉にできないものを感じた。

外見は何も変わっていない。スーツも、鞄も、いつもの父のものだ。でも、玄関に立った父の佇まいが、なんというか、「家の中の距離感をまだ掴んでいない」みたいな感じがした。初めて来た場所で足元を確かめるような、一瞬の間があったのだ。

「遅かったね」と母が言うと、父は「ああ、ちょっと残業」と答えた。

声は、父の声だった。

でも私は、父がドアをくぐる時に一瞬だけ見せたその「間」が、どうしても頭から離れなかった。

父が死んだのは、それから三週間後だった。

職場で倒れたと連絡が来て、病院に駆けつけた時にはもう意識がなかった。脳の血管がどうとか、先生から説明を受けたが、私は半分も頭に入らなかった。あっけなかった。本当に、あっけなかった。

葬儀が終わって、家が静かになってから、私はふと思い出してメモ帳を見た。父の帰宅時間をつけていた、あのメモだ。

最後の日付の横に、私はこう書いていた。

「帰ってきた。でも何か違う」

その一文の意味を、私は今でも考える。父が生きていた最後の日々、私が感じていた「違和感」は何だったのか。仕事のストレスか、体の異変のサインか、あるいは単に私の思い過ごしか。

ただひとつ、今でも不思議に思うことがある。

父の死後、遺品を整理していたら、父の鞄の内ポケットから小さな手帳が出てきた。父が日々のスケジュールを書き込んでいたものだ。ほとんどは仕事の予定だったが、十月に入ったあたりから、毎日のように一行だけ、同じ文字が書いてあった。

「確認済」

それだけだ。何を確認したのか、何に向けて書いたのか、何も書いていない。ただ、日付が変わるたびに、「確認済」という文字だけが繰り返されていた。

母はそれを見て、「几帳面だったからね」と言って手帳を閉じた。

私は何も言えなかった。

父が死んだことは、もう受け入れている。でも、あの秋の父の変化が何だったのかは、受け入れることができないまま今に至る。父は何を毎日「確認」していたのか。あの帰宅時間のぶれは何だったのか。あの一瞬の「間」は何だったのか。

ただの変化だったのかもしれない。人間、いつだって少しずつ変わっていく。

でも私はどうしても、あの秋の父を思い出すたびに、こう考えてしまうのだ。

あの頃の父は、本当に「父」だったのだろうか、と。

それが正しい問いなのかどうかも、私にはわからない。

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