死んだ友人のアカウントのこと

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事故で亡くなった親友のSNSアカウントが、死後も更新され続けた。最初は遺族か誰かの手違いだと思っていた。でも投稿の内容が、私にしか分からないことを、知っていた。

ミサキが死んだのは、去年の秋の終わりごろだった。

峠道での事故だったと、共通の友人から連絡が来たのは、その日の夜だった。私はしばらく、スマートフォンの画面を見たまま動けなかった。ミサキとは高校からの友人で、大学が別々になっても、社会人になってからも、年に数回は会っていた。急に亡くなるような年齢でも、体の弱い子でもなかった。ただの、普通の、どこにでもいる友人だった。

お葬式には参列した。祭壇に飾られた写真の中のミサキは、少し前に会ったときと同じ顔をしていた。実感が湧かないとはよく言うけれど、本当にそうで、「いつかまたLINEが来る気がする」と思いながら帰り道の電車に乗っていた。

最初の投稿に気づいたのは、葬儀から二週間ほど経ったころだった。

ミサキはSNSをよく使っていた。日常のちょっとしたことを写真に撮って投稿するタイプで、フォロワーも数百人いた。亡くなった後もアカウントは残ったままになっていて、私はそのページを時折開いては、過去の投稿をぼんやり眺めていた。旅先の景色、好きなカフェのラテアート、たまに二人で行った場所の写真。そういうものを見ながら、少しずつ気持ちの整理をしようとしていた。

だからその日、新しい投稿が表示されたとき、最初は意味が分からなかった。

写真は、山道の写真だった。紅葉の残った山道を、誰かが歩いている。後ろ姿で、顔は見えない。キャプションには、ひらがなで「あるいてる」とだけ書いてあった。

投稿時刻は昨日の午後三時ごろになっていた。

私は最初、ご遺族が何かの手違いで操作してしまったのかと思った。あるいは、アカウントを乗っ取られたのかもしれないとも思った。そういう話は聞いたことがあった。故人のアカウントを利用した詐欺とか、なりすましとか。変な業者が関わっているのかもしれないと思って、ミサキの地元の友人に連絡を取った。

「私も気になってた。お母さんに確認してみる」

数日後、返信が来た。ご家族はSNSのパスワードを知らなかったらしく、誰も操作していないということだった。アカウント会社に問い合わせることも考えているが、まだ気持ちの余裕がないと、お母さんが話していたという。

それから一週間後、また投稿があった。

今度は室内の写真だった。木目のテーブルの上に、湯気の立つマグカップが置いてある。キャプションは「さむい」の一言だった。

その写真を見て、私は少し背筋が冷えた。そのマグカップに見覚えがあったからだ。ミサキが愛用していた、持ち手が欠けた古いマグカップ。誰かが彼女の部屋で撮った写真とも考えられるけれど、あのカップのことを知っている人間が、どれくらいいるだろうと思った。

私はその投稿に「だれが更新しているの」とコメントを書いた。翌朝確認したら、コメントは消えていた。

そこから投稿は、不定期に続いた。

紅葉の散り切った公園の遠景。コンビニの袋が一つ、玄関に置かれた写真。窓の外の夕暮れ。どれも何気ない日常のスナップのようで、でも写っている人間は一人もいなかった。キャプションもいつも短くて、「しずかだな」「つかれた」「もうすぐ」、そういう言葉だった。

「もうすぐ」が気になって、私はその投稿をスクリーンショットしておいた。

十二月に入ったころ、私の職場の近くにある公園の写真が投稿された。

最初はそれだと気づかなかった。どこにでもある公園の、ベンチと枯れ木の写真だった。でも夕方、仕事帰りにその公園を通ったとき、そのベンチが写真と同じ構図で見えて、足が止まった。そこまで珍しい構図ではないかもしれない。でも、ミサキはこの公園のことを知っていたのだろうか。私が職場を変えたのは、彼女が亡くなった半年ほど前のことで、新しい職場の最寄り駅のことは話したことがあったけれど、この公園の話をした記憶はなかった。

私は少し考えてから、その投稿に「ここって、駅前の公園だよね」とコメントした。

翌日、コメントへの返信が来ていた。

「うん そこ」

私はしばらくスマートフォンを持ったまま、その二文字を見つめた。

遺族でもなく、業者でもないとしたら、誰が返信したのだろう。ミサキのアカウントで、ミサキの口調で、私の知っていることを知っている誰かが。

このころから、私はアカウントのチェックをやめられなくなった。やめたほうがいいとは分かっていた。でも朝起きたら確認して、昼休みに確認して、夜寝る前にも確認していた。

投稿の間隔は少しずつ短くなっていた。

ある夜、私のアパートの外廊下の写真が投稿された。

これは間違いなかった。廊下の突き当たりにある給水機と、その横の消火栓箱。私の部屋はその突き当たりにある。夜の廊下で、照明がひとつ切れかけていて、ちらちらと点滅している。私の部屋の照明だ。前から切れかけていて、変えなければと思いながら放置していたあの照明が、写真に写っていた。

キャプションは「きた」の二文字だった。

私はすぐに玄関のドアスコープを覗いた。誰もいなかった。廊下は暗くて、照明は点滅していた。写真の通りだった。

その夜は眠れなかった。

翌朝、投稿は消えていた。昨夜の廊下の写真も、「きた」というキャプションも、跡形もなくなっていた。まるで私だけが見たかのように。

友人の一人に、ここまでの話をした。「気持ちは分かるけど、誰かの悪質ないたずらかもしれない。警察に相談した方がいい」と言われた。確かにそうかもしれない。でも、何を被害として申告すればいいのか、私には分からなかった。写真も消えているし、コメントも削除されている。証拠が残らない。

ミサキの地元の友人にも、もう一度連絡した。「アカウントの件、その後どうなった?」と聞くと、少し間があってから「実はね」と返ってきた。

ご家族がアカウント会社に連絡して、追悼アカウントへの移行か削除かを検討しているらしかった。でもその手続きの途中で、担当者から奇妙なことを言われたというのだ。アカウントの最終ログインが、直近まで記録されているということ。しかも、ログインに使われた端末の情報が、毎回異なるということだった。

「どういうこと、それ」と私は聞いた。

「分からない。ミサキのスマホは、事故で壊れて手元にないはずなんだけど」

それ以上の続きは、どちらも言えなかった。

今もアカウントは残っている。あれ以来、新しい投稿はない。コメント欄も、私の書き込みも含めて、全部消えている。ただアカウントだけが、まるで待機しているみたいに、そこにある。

一つだけ、気になっていることがある。

ミサキが亡くなる少し前、二人でごはんを食べたとき、彼女が「ねえ、死んだ後もSNS残り続けるの、なんか怖くない?」と言っていた。私は「確かに」と笑いながら答えた。「だから私が死んだら、消しといて」と彼女は続けた。

私は「分かった」と言って、それきり忘れていた。

消してほしかったのかもしれない。それを伝えに来たのかもしれない。でもそれが本当にミサキなのか、それとも何か別のものが、ミサキのアカウントを使って私に近づいていたのか、私には今でも分からない。

あの「きた」という投稿が何を意味していたのかも。

そしてもう一つ。あの夜の廊下の写真が削除されたとき、スクリーンショットを撮ったはずだった。でも今、カメラロールを見ると、そこには何も保存されていない。

何枚かそのあたりの写真を確認しているうちに、見覚えのない画像が一枚だけ混じっているのに気づいた。

暗い室内から、ドア越しに外を覗いたような写真だった。ドアスコープから撮ったような、丸く歪んだ視野。その向こうに、廊下がある。

そしてドアの前に、こちらを向いている人影が写っていた。

その日付は、私が玄関のドアスコープを覗いた夜と、同じだった。

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