引っ越して三ヶ月、毎日歩いていた通勤路がいつの間にか変わっていた。地図には載っていない道が増え、知っているはずの景色が少しずつ塗り替えられていく。
引っ越してきたのは、春の終わりごろだった。
仕事の都合で、県境に近い小さな町に移ることになった。人口は多くない。商店街はシャッターが半分閉まっていて、夕方になると人通りがほとんどなくなる。都会育ちの自分には少し寂しく感じたが、家賃が安いのと、職場まで徒歩で通えるのが気に入った。
最寄りの駅から職場まで、歩いて十二分ほどの道のりだった。引っ越した翌日からそのルートを歩き始め、一週間もすれば完全に体が覚えた。郵便局の前を左に曲がって、古い理髪店の角を右に折れて、高架下をくぐったら橋を渡る。橋を渡ったら直進して、突き当たりのコンクリート塀を左に沿って歩けば職場に着く。単純なルートだった。
おかしいと思い始めたのは、引っ越しから二ヶ月が経ったころだった。
ある朝、橋を渡ったあとにふと気がついた。いつも橋を渡ってすぐ右手にある自動販売機が、なくなっていた。それ自体は別に不思議でもない。自販機が撤去されることなんてよくある話だ。ただその代わりに、コンクリートの壁があった。昨日まであそこに自販機があって、その後ろには薄暗い駐車場が広がっていたはずなのに、何もない真っ白な壁がそこにあった。
気にしないようにしながらも、帰り道に同じ場所を確認した。壁は確かにあった。なんなら表面に少しコケが生えていて、新しく作ったものには見えなかった。
その翌週、今度は別の変化があった。
高架下をくぐる手前に、細い路地がある。引っ越してから一度も入ったことのない、薄暗い行き止まりの路地だ。そこに、小さな石の祠があった。正確に言うと、あった、というより気がついた、という感じで、最初からそこにあったのかもしれない。ただ、毎日同じ道を歩いていて、その路地には何度も目をやっていたはずなのに、祠には一度も気がつかなかった。
同僚に話してみた。その人はこの町で生まれ育ったという、五十代の女性だ。
「あの橋の近くの自販機って、もともとあそこにありましたよね」と聞いたら、「自販機?」と首を傾げられた。「あそこはずっと前からあの壁しかなかったと思うけど」と言う。「何十年も変わってないよ、あの辺は」と笑われた。
おかしいとは思ったが、自分の記憶違いかと流した。
しかし三週間後、また別のことが起きた。
高架下をくぐったあとの道が、変わっていた。以前は高架をくぐってまっすぐ橋に向かう一本道だったのに、そこに分岐ができていた。右に折れると別の道が続いていて、木の生い茂った薄暗い小径になっている。舗装はされていて、車も通れそうな幅があった。だが、引っ越してから二ヶ月間、その道が存在した記憶がまったくなかった。
スマートフォンの地図アプリを開いて確認した。地図上では、その分岐は存在しない。高架から橋への一本道があるだけで、右に折れる道は描かれていない。衛星写真に切り替えてみると、その小径の方向には木と草があるだけで、道らしいものは確認できなかった。
だが現実には、明らかに人が歩いている形跡のある道がそこにある。
その日の帰りに、少しだけその道を歩いてみた。百メートルほど進んだところで、急に空気が変わった気がした。気温が下がったというか、湿度が上がったというか、うまく言い表せないが、歩くのをやめて引き返した。直感みたいなものだったと思う。
次の日から、毎朝その分岐のあたりをよく観察するようにした。道はある。確かにある。しかし誰もその道を使っていない。車も人も、通るのを一度も見なかった。
その一週間後だった。
橋が変わっていた。
いや、正確には橋そのものは変わっていないのかもしれない。でも橋の下を流れる川が、なくなっていた。橋の欄干から下を見ると、川があったはずの場所に、枯れた草と細かい砂利があるだけだった。川底が見えているのではなく、川自体がなくなったような状態だ。橋はある。渡れる。でも橋の下には水がない。
帰りに同じ場所を確認すると、川は普通にあった。水も流れていた。
翌朝また確認すると、やはり川はなかった。
行き帰りで川の有無が変わる。そんなことが三日間続いた。四日目の朝は、川があった。五日目も川があった。以来ずっと、川はある。まるで何事もなかったように。
ここで初めて、記録をとることにした。
毎朝同じルートを歩きながら、スマートフォンで写真を撮ることにした。郵便局の前、理髪店の角、高架下、分岐点、橋、突き当たりのコンクリート塀。毎日同じ角度で、同じ場所を撮った。
一週間分の写真を並べて見比べたとき、気が遠くなる思いがした。
最初の数枚はほぼ同じだった。違いは空の色と影の向きくらいで、景色は変わっていない。しかし中盤の写真から、少しずつずれが生まれていた。高架下の左壁についているはずの非常口の表示が、ある日から右壁に移っていた。突き当たりのコンクリート塀に、以前はなかったひびが入っていた。橋の欄干の鉄格子の間隔が、わずかに広くなっていた。
どれも写真で見比べなければ気づかない程度の差だ。しかし確かに、変わっていた。
同じ道を毎日歩いて、同じ場所を毎日撮って、それでも変化は起きている。
もしかすると、これは単純な見落としの積み重ねなのかもしれない。毎日同じ道を歩いていても、人間はそこまで細部を記憶していない。壁のひびも、鉄格子の間隔も、最初からそうだったのを覚えていなかっただけかもしれない。
ただ、もう一つだけ記録の中に気になるものがあった。
分岐点の写真だ。右に折れる薄暗い小径の入口を毎日撮っていたのだが、その中の一枚、引っ越し後二ヶ月と十八日目の朝に撮った写真だけ、小径の奥に人影のようなものが写っていた。小さくて不鮮明だが、木の幹の影とは違う、人間のシルエットに見えるものが一つある。
その日の写真を撮った記憶はある。しかしそのとき、小径の奥に誰かがいたという記憶はない。
拡大してみたが解像度が低くてはっきりしない。木の影が重なっただけという可能性は十分にある。
それからもう一ヶ月ほど経った。今も同じルートで通勤している。
道はまた少し変わった。突き当たりのコンクリート塀に、扉ができていた。古いスチール製の扉で、錆びていて、鍵がかかっている。以前そこに扉があったかどうか、正直自信がない。なかったと思う。でも写真を見返すと、画角に入る位置ではないため確認できなかった。
今の自分には、二つの可能性しか思いつかない。
一つは、自分の記憶と観察力が根本的に信用できないということ。毎日同じ道を歩いているようで、実は細部をほとんど見ていなかった。変わったと感じているものは最初からそうで、自分が知らなかっただけ。
もう一つは、道が実際に変わり続けているということ。理由も目的もわからないが、自分が通るたびに、少しずつ、何かが作り変えられている。
どちらが正しいのか、今も判断できないでいる。
ただ、一つだけはっきりしていることがある。
あの分岐の小径に、今日また誰かが立っていた。
昨日も立っていた気がする。一昨日も。だが写真には写っていない。
毎朝、高架をくぐって分岐に差し掛かるたびに、右の小径の奥に何かがいる気がする。目を向けると何もない。でも視界の端では確かに見える。
今日は初めて、その何かがこちらを向いた気がした。
気がした、だけかもしれない。
でも今日は、少しだけ足が速くなった。


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