毎晩、日記の続きが書かれていた

一人暮らしのはずなのに、自分では書いていない日記の続きが毎晩増えていた。筆跡は私のものとまったく同じだった。

日記をつけ始めたのは、その町に引っ越してきた春のことだった。

もともと几帳面な性格ではないし、三日坊主には自信がある。それでもあのとき日記帳を買ったのは、新しい生活を「ちゃんと記録しておきたい」という、なんとなくの気持ちからだった。県境にある小さな町で、知り合いも一人もいない。仕事はリモートで、一日中だれとも言葉を交わさないことも珍しくなかった。書くことで、自分が確かに存在しているような感覚を持ちたかったのかもしれない。

日記帳はシンプルなものを選んだ。濃紺の表紙で、罫線だけが引かれた、日付も何もないタイプのやつ。文具店の棚に並んでいたそれを手に取ったとき、特に理由はなかった。ただなんとなく、これがいいと思った。

引っ越してから最初の一週間は、割ときちんと書いた。荷解きが終わった、近くのスーパーを見つけた、大家さんに挨拶した、そういった些細なことを三、四行ずつ。字は自分でも「独特だな」と思うくらい癖がある。跳ねる部分が強くて、「の」とか「な」とか丸みのある文字が特徴的に歪む。ペンの持ち方が変なせいで、同じ文字でも右上がりになることが多い。

二週目に入ったあたりで、最初のズレに気がついた。

その日は仕事が立て込んでいて、夜の十一時過ぎまで画面と向き合っていた。日記を書く気力もなく、そのまま寝てしまったはずだった。ところが翌朝、なんとなく日記帳を開いたら、前日の日付のページに文字が書いてあった。

「今日は風が強かった。洗濯物を外に干したら、タオルが一枚飛んでいってしまった」

確かに風の強い日だった。でも私は洗濯をしていない。前日は乾燥機を使った。タオルが飛んだ覚えもない。

はじめは自分が書いたのを忘れていると思った。疲れていたし、半分眠りながら書いたのかもしれない。ただ、読み返してみると、文章のトーンがわずかに違う気がした。私はあまり「してしまった」という表現を使わない。でもそのとき気にしすぎだと思って、ページをめくった。

それから一週間ほど、似たようなことが続いた。

書いた覚えのない文章が、翌朝になると一日分増えている。内容はいつも日常的なことで、その日の天気や食事のこと、近所の様子が短くまとめられている。私が書いた文章と並べてみると、ほぼ同じ筆跡なのに、どこかが微妙に違う。文字の傾きが、私よりほんの少しだけ垂直に近い。

記憶がないだけで自分が書いているのか、それとも。

そう思い始めたとき、初めて少しだけ怖くなった。

試してみることにした。ある夜、日記帳をクローゼットの中にしまい、鍵のかかる引き出しの中に入れた。翌朝、取り出して開いてみると、新しい文章が一ページ分増えていた。

「夜中に目が覚めた。窓の外で猫が鳴いていた。すぐに眠れなかった」

その夜、私は夜中に目が覚めていない。少なくとも、覚えていない。

引き出しの鍵は私が唯一持っているスペアキーで、複製した覚えはない。大家さんにも渡していない。ドアの鍵は毎晩かけているし、窓も閉めている。だれかが侵入している形跡は、どこにもなかった。

冷静に考えようとした。自分が夢遊病のように動いて、眠ったまま書いているのだろうか。でも鍵を開けて引き出しから取り出して、また戻す。そこまでするだろうか。それに日記帳の周りに置いていたはずのメモ用紙が、ちゃんと元の位置に残っていた。だれかが開けた痕跡があるとすれば、そのメモ用紙は動くはずだった。

ひとつだけ確認できたことがある。筆跡だ。

引き出しから取り出した日記帳の新しいページを、私が書いたページと並べて写真に撮り、拡大した。「の」の字の形。「今」の字の二画目の入り方。私の癖は「今」を書くとき、二画目が左に流れすぎる。でも新しい文章の「今」は、きれいに中心に収まっていた。

それだけが違った。それ以外は、ほぼ完璧に私の字だった。

私はその日から、日記に仕掛けをするのをやめた。なぜかはうまく説明できない。怖かったのか、それとも仕掛けをすることで、何かを刺激したくなかったのか。とにかく、そのまま毎朝開いて、増えた文章を読む、という生活になった。

文章の内容は日常的なものが続いた。近所のコンビニに新商品が出た。雨で外に出られなかった。洗い物をためてしまった。どれも、その日起きた出来事と重なることもあれば、まったく覚えのないことが書かれていることもあった。

奇妙なのは、私が書いた部分と、書かれた部分が、日記帳の中で自然につながっていることだった。私が「明日は晴れるといいな」と書いた翌日のページには「晴れた。布団を干した」と書かれていた。私の文章に対して、何かが返事をしているような感覚があった。

四十日目を過ぎた頃、内容が変わり始めた。

「昨日、彼女がずいぶん長い時間、窓の外を見ていた」

私はそのページを三回読み返した。「彼女」。それまでの文章には、「今日」「夜中に」「近所の」といった言葉しか出てこなかった。人称が出てきたのは、それが初めてだった。

しかも「彼女」という言葉が、明らかに私を指している。

次の日のページには何も書かれていなかった。その翌日も。三日間、追加の文章はなかった。久しぶりに静かになった部屋で、私は自分が何を感じているのか、よくわからなくなっていた。怖いのか、ほっとしているのか、それとも、なくなって寂しいのか。

四日目の朝、また文章が増えていた。

「引っ越しを考えているのかもしれない。荷物を確認しているような様子だった」

私はたしかに、前日の夜、段ボールをいくつか押し入れから出して、中身を確認していた。思い当たることがあって、送り返さなければならないものを探していただけだった。引っ越しなど考えていなかった。

でもその文章を読んで、なぜか引っ越してはいけない気がした。根拠はない。ただ、もしこの部屋を出て行ったとき、何が起きるかが読めなくて、怖かった。

今もここに住んでいる。

日記は今も続いている。私が書く日もあれば、書かない日もある。書かなかった日の翌朝は、きまって一ページ分の文章が増えている。内容はまた日常的なことに戻った。今日は曇っていた。スーパーで買い忘れがあった。夜遅くまで起きていた。

「彼女」という言葉は、あれ以来一度も出てこない。

先月のある朝、開いたページにこんな一文があった。

「今日は同じ時間に目が覚めた。三時十七分」

私はその日、三時十七分に目が覚めていた。目覚まし時計を確認したから、はっきり覚えている。

それだけが書いてあった。それ以上も、それ以下も何もなく、ただ「三時十七分」という数字だけが、静かにそこにあった。

今でも日記帳は机の上に置いてある。毎朝開くのが、いつの間にか習慣になった。怖いかどうか、と聞かれると、正直わからない。ただ、もし明日の朝に何も書かれていなかったら、と考えると、それはそれで少し落ち着かない気持ちになる。

それが何を意味するのかは、考えないようにしている。

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