通勤路のあの店について

毎朝通る道に、いつからかある小さな古道具屋があった。誰にも見えていないと気づいたのは、店に入ってからだった。

話すと長くなるんだけど、聞いてほしいことがある。

俺は今から二年ほど前、県境に近いベッドタウンに引っ越した。職場まで電車で四十分ほどかかるんだが、最寄り駅から会社までの徒歩区間が十五分ほどあって、その道が気に入っていた。古い住宅地の中を抜ける細い道で、朝は静かだし、季節によって街路樹の様子が変わる。殺風景な幹線道路より、少し遠回りしてでもこっちを通りたいと思わせる、そういう道だった。

その道を使い始めて三ヶ月ほど経った頃だったと思う。道の途中に、小さな店があることに気がついた。

間口が二間もないような狭い店で、ガラスの引き戸に「古道具」とだけ書いてある。ショーウィンドウらしきものはなく、外から中が見えないように暖簾というか、古びた布が内側からかかっていた。看板もない。店名もない。ただ「古道具」。

最初は、ずっとそこにあったのに俺が気づかなかっただけだろうと思った。毎朝急いで歩いているから、見落としていても不思議じゃない。でもよく考えてみると、その場所はいつも通り過ぎるときに目に入る電柱の手前で、その電柱には手書きのチラシが貼ってあって、俺はなんとなく毎朝そこを見ていた。店があれば気づくはずの場所だった。

まあ、でもそんなこともあるかと思って、特に気にしないまま一週間ほど過ぎた。

気になり始めたのは、同僚の話がきっかけだった。

その同僚、中野さんという三十代の女性なんだけど、彼女も似たようなルートで通勤していた。会社の近くで合流することが多くて、雑談しながら歩くこともあった。ある朝、俺が何気なく「途中に古道具屋ってあるじゃないですか」と言ったら、彼女が「え、どこ?」と言った。

俺は場所を説明した。あの電柱の手前、右側の古い建物の一階、と。

「そこって空き店舗じゃなかったっけ」と彼女は言った。「シャッター閉まってると思ってたけど」

俺は少し引っかかったけど、そのときは「気づかなかっただけじゃないですか」と笑って流した。

でも翌朝、意識して見てみると、店は普通にあった。引き戸に布がかかって、電気がついているのか薄ぼんやりと明るい。シャッターなんてない。俺には確かにそう見えた。

それからしばらくして、今度は別の機会に別の同僚、田辺さんという男性と話した。彼も職場に近い側に住んでいて、同じ道を使うことがあると言っていた。また古道具屋の話をしてみた。

「古道具屋?あの道に?」彼も首をかしげた。「見たことないな。何年もあの道通ってるけど」

俺は自分の認識がどこかおかしいのかと思い始めた。

その週末、俺は一人でその道を歩いてみた。平日と同じように、いつもの電柱の前まで来たとき、店は確かにあった。しかも、平日の朝と違って引き戸が少し開いていた。中から、古い木の匂いと、かすかに何か油のような、蝋のような匂いがした。

引き戸のガラス越しに中をのぞこうとしたんだが、やっぱり布で見えない。でも電気はついているようだったし、人の気配もした。

気がつくと俺は、引き戸を引いていた。

中は薄暗かった。外より少し温度が低い気がした。壁際に棚が並んでいて、古い陶器だとか、意味のわからない金属の器具だとか、木箱だとか、そういうものが積み上げられていた。

奥に人がいた。カウンターの向こう側に、老人が座っていた。七十代か、もっと上か。和服を着ていて、眼鏡をかけていて、俺が入ってきても顔を上げなかった。

俺は「すみません」と声をかけた。

老人は少しだけ顔を上げて、俺を見た。何も言わなかった。

俺はなんとなく「ここ、いつからあるお店ですか」と聞いた。

老人はまた視線を手元に落として、「ずっと前から」とだけ言った。

「この辺の方に聞いても、みんな知らないって言うんですよ」と俺は続けた。

老人は少し間を置いてから、「そうですか」とだけ言った。

俺は棚の商品を少し見てまわって、特に何も買わずに外に出た。その場の空気が、なんだか居心地が悪かった。理由はうまく説明できないんだけど、老人の視線というか、存在というか、そこにいることの質感みたいなものが、普通じゃない感じがした。

それから俺は、意識して店のことを調べようとした。

まずグーグルマップで検索したんだが、その住所に対応する店舗情報が何も出てこない。ストリートビューで確認すると、画像上ではその場所は薄汚れた外壁が続いているだけで、引き戸も、布も、古道具の「こ」の字も写っていなかった。ストリートビューの撮影時期は三年ほど前だったので、それ以降に開店したのかもしれないとは思った。

次に、近所の不動産屋に行って、さりげなく聞いてみた。あの通りに古道具屋がありますよね、と。

不動産屋の担当者は首をかしげて、「あそこは空き店舗が多い通りですよ。古道具屋は知らないですね」と言った。

俺はスマホで写真を撮ればいいと気がついたのがこの時点で、翌朝の通勤で試みた。

電柱の手前に来たとき、店はあった。俺はスマホのカメラを向けて、シャッターを切った。

その日の夜、写真を確認した。

古道具屋は写っていなかった。電柱も、その手前の外壁も、ちゃんと写っているのに、店があるべき場所は、ただの壁だった。汚れた外壁が続いているだけ。引き戸も、布も、何もない。

最初は撮影ミスかと思って、翌日また撮った。同じだった。その次の日も。俺が見ているとき、そこには確かに店がある。でも写真に残らない。

この頃から、俺は職場でもあまり集中できなくなってきていた。店のことが頭から離れなかった。

ある日、中野さんにまた話をした。今度は「一緒にその場所を見てほしい」とお願いした。

彼女は少し面倒くさそうにしながらも、一緒に歩いてくれた。電柱の手前に来たとき、俺には店が見えていた。

「ここです」と俺は言った。

中野さんは俺の指差す方向をじっと見てから、「何もないじゃないですか」と言った。「壁ですよ、ただの」

俺には、引き戸に「古道具」と書かれた店がはっきり見えていた。

中野さんはその後、少し心配そうな顔をして「睡眠とれてます?」と聞いてきた。俺は「とれてます」と答えた。実際にはあまりとれていなかったけど。

その翌週のことだ。

朝、いつもの道を歩いていたら、店の前に老人が立っていた。カウンターの奥にいつも座っているあの老人だ。外に出ているのを見たのは初めてだった。俺と目が合った。

老人は何か言った。声が小さくて聞き取れなかったから、俺は近づいた。

「来ちゃいけなかったのに」と老人は言っていた。

俺は思わず立ち止まった。「え」と言ったが、老人はもう店の中に入っていて、引き戸が静かに閉まった。

それが老人を見た最後だ。

翌朝から、店がなくなっていた。

正確に言うと、電柱の手前に来ても、中野さんたちが言っていたのと同じ、ただの外壁が続いているだけになった。俺にも。

店があった場所を近くから確認してみたが、引き戸があったはずの部分は、完全に壁で、継ぎ目すら見当たらなかった。何十年も前からそこが壁であったかのような、均一に汚れた、ただの外壁だった。

それ以来、店は見えていない。道はまた静かな通勤路に戻った。

ただ一つ、気になっていることがある。

あの老人が「来ちゃいけなかった」と言ったとき、俺への言葉だと思った。でも今になって考えると、「来ちゃいけなかったのに」は、誰への言葉だったんだろうと思う。

俺が来てしまったことへの言葉なのか。それとも、老人自身が、ここに来てしまっていたことへの言葉なのか。

どっちなのか、今でもわからない。そして、あの店に入ったことで俺が何かを変えてしまったのか、何かを終わらせてしまったのかも、わからないままだ。

あの道は今も使っている。毎朝、電柱の手前を通るとき、俺は少しだけ足を緩める。

ただの癖だ。きっと。

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