実家に帰省するたび、母は毎晩まったく同じ話を、まったく同じ順番で語り始めた。最初は老いのせいだと思っていた――話の中身が、少しずつ変わり始めるまでは。
母が同じ話を繰り返すようになったのは、三年ほど前のことだ。
最初に気づいたのは、秋の三連休に久しぶりで実家へ帰ったときだった。母は当時六十四歳で、持病らしい持病もなく、近所のスーパーでパートをしながら一人で暮らしていた。父は私が大学に入る前に他界していて、兄は関東で働いているから、実家には母しかいない。私も今は車で二時間ほどの町に住んでいるから、帰省は年に三、四回といったところだった。
その三連休の初日の夜、夕飯を終えてコタツに入りながら、母がぽつりと話し始めた。
「あのね、駅前の薬局があるじゃない。あそこの角のところ」
「うん」
「昔、あの場所に鍛冶屋さんがあったのよ。おじいちゃんが子どもの頃の話だけど。火を使う仕事だから、毎日煙がもくもくして、夏は近くを通るだけで暑かったって」
私は初めて聞く話だったから、素直に面白いと思った。母方の祖父が生きていた頃の話で、今は整備された駅前通りの裏側にそういう暮らしがあったのかと、ぼんやり想像しながら聞いた。
話はそこから少し続いて、祖父が鍛冶屋の親方に可愛がられていたこと、親方が作った小刀を一本もらったこと、その小刀は今もどこかにしまってあるはずだということ、そういう順番で語られた。最後に母は「どこにやったかしらね」と笑って、話を締めくくった。
それだけなら、何でもない夜の会話だった。
翌朝、朝食を食べ終えた頃にまた母が言い出した。
「あのね、駅前の薬局があるじゃない。あそこの角のところ」
私は少し驚いたけれど、昨夜の話を覚えていないのかもしれないと思った。高齢になれば、そういうことはある。愛想よく相槌を打ちながら聞いた。鍛冶屋の話、煙の話、祖父と親方の話、小刀の話。まったく同じ順番で、まったく同じ言葉で語られた。「どこにやったかしらね」という最後の一言まで、一字一句違わなかった。
その夜もまた、同じ話が始まった。
さすがに三回目は少し怖かった。認知症の初期症状だろうかと思い、翌日帰る前に「お母さん、最近物忘れとかない?」と遠回しに聞いてみた。母は「なんで急にそんなこと」と少し眉をひそめて、「ぼーっとすることはあるけど、仕事はちゃんとできてるよ」と答えた。顔色も悪くなかったし、会話の受け答えもごく普通だった。
それからしばらくの間は、電話で話すたびに気にかけていたけれど、電話口の母は至って普通だった。最近見たテレビの話をして、パートの同僚の愚痴を言って、私の体調を心配して電話を切る。いつも通りの母だった。同じ話を繰り返す気配は、電話越しにはなかった。
次に帰省したのは、年が明けてすぐ、正月だった。
初日の夜、予想通り母が言い出した。「あのね、駅前の薬局があるじゃない」。私は今度こそちゃんと聞いてみようと思って、途中で口を挟んだ。
「その鍛冶屋さんって、名前わかる?」
母がほんの少し間を置いた。それまでのすらすらとした語り口が、一瞬だけ止まった。そして「さあ、なんて言ったかしらね」と言って、また元の流れに戻った。鍛冶屋の煙、祖父と親方、小刀、「どこにやったかしらね」。
気になったのは、その「間」だった。答えを思い出そうとして止まったのではなく、何かに引っかかったような、別の種類の沈黙に見えた。でもうまく説明できなくて、その夜は寝てしまった。
正月の三日間、やはり毎晩同じ話が出た。
私は兄に電話して相談してみた。兄は「お袋、そんなことあったっけ」と言った。帰省の頻度が少ないからか、兄はその話を知らないようだった。「心配なら一度病院連れてったら」と言われたけれど、当の母が嫌がるだろうし、日常生活に支障が出ているわけでもないから、踏み切れなかった。
問題が起きたのは、三度目の帰省の時だった。初夏の頃で、梅雨に入ったばかりの、雨の多い週末だった。
いつものように夕飯を終えて、母が話し始めた。「あのね、駅前の薬局があるじゃない。あそこの角のところ」。私はもう諦めて、相槌を打ちながら聞いていた。鍛冶屋の話、煙の話、祖父と親方の話——
そこで止まった。
母が言ったのだ。「親方がね、おじいちゃんに言ったんだって。ここの火は生きてるから、絶やしちゃいけないって」。
私は思わず顔を上げた。その一文は、これまでの話に出てきたことがなかった。鍛冶屋の話はいつも、「祖父が可愛がられていた」という部分をさらっと通り過ぎて、小刀の話に移っていた。「火は生きている」なんて言葉は、一度も出てこなかった。
「今、なんて言ったの?」
母は少し首をかしげた。「なんて言ったって?」
「火は生きてるって」
「そう、おじいちゃんが聞いたんだって。だから小刀を作る時も、一番大事なのは火の扱いだって親方が——」
そこからまた、いつもの流れに戻っていった。小刀、「どこにやったかしらね」。
私はその夜、眠れなかった。話が変わったことへの違和感と、母が変化に気づいていないことへの不安が、ぐるぐると頭を回った。記憶の同じ部分を繰り返しているのに、繰り返すたびに内容が少しずつ増えているとしたら、それは何を意味するのだろう。
翌朝、また話が始まった。今度は「親方がね、火を祀るための場所を作っていたんだって」という一文が加わっていた。
翌晩はさらに増えた。「火を祀る場所に、何かを埋めていたって話があって」。
私はメモを取り始めた。毎回の話の内容を、できるだけ正確に書き留めた。話の骨格は変わらない。薬局の角、鍛冶屋、煙、祖父と親方、小刀。でもその骨格の間に、少しずつ肉が付いていく。親方が残した何か、埋められた何か、それを「絶やしてはいけない」という言葉。
一つだけ確認しようと思って、ある夜思い切って聞いた。「お母さん、おじいちゃんから直接そういう話を聞いたの?」
母は少し考えてから言った。「そうねえ、どうだったかしら。聞いたような気もするし、夢で見たような気もするし」
「夢?」
「おじいちゃんがね、最近夢に出てくるの。何か言いたそうにしてるんだけど、聞き取れなくて」
私の背中が、すうっと冷えた。
それ以降、私は帰省のたびにメモを見返すようにした。話の「増えた部分」を時系列で並べると、鍛冶屋の親方が何かを代々受け継がせようとしていて、その何かを「火によって守っていた」という話の輪郭が、ぼんやりと浮かんできた。埋められたもの、祀られたもの、絶やしてはいけないもの。
そして先月の帰省で、初めて聞く言葉が出てきた。
「その場所がね、今は薬局の駐車場になってるって、おじいちゃんが言ってた」
「夢の中で?」
「夢の中でね。おじいちゃん、すごく困った顔をしてるの。火が、って言いかけるんだけど、そこで毎回目が覚めてしまって」
私はその夜、古い町の地図を調べてみた。インターネットで見つけた昭和初期の住宅地図に、確かに「金物」という文字が、今の薬局の近くに記されていた。鍛冶屋かどうかはわからない。でも何もないわけでもなかった。
駐車場を整備したのはいつ頃か、土を掘り返したことがあるかどうか、そういうことはわからない。
わからないままなのだけれど、一つだけ確かなことがある。
先々週、母から電話があった。「あの小刀、見つかったよ」と言うのだ。押し入れの奥の、古い木箱の中にあったと。私は「よかったね」と答えながら、胸の中でひどく嫌な感じがした。
その小刀を、どうするつもりなのか聞きそびれた。
次に帰省したとき、また話が始まるだろうと思う。「あのね、駅前の薬局があるじゃない」という言葉で。そしてその話の中に、また新しい一文が加わっているだろうと思う。
私はそれが怖い。母のことが心配というより、話そのものが怖い。誰かが、何かを語らせようとしているような気がしてならない。語り終えたとき、話は完成するのかもしれない。
でも、完成した後に何が起きるかは、まだ誰も知らない。


コメント