あなたの家の最寄り駅に、何番線まであるか知っていますか

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子どもの頃、あの無人駅のホームで嗅いだ匂いの正体を、大人になった今もまだ説明できないでいる。誰かが教えてくれればよかったのに、あの夕暮れを越えてはいけなかったと。

これはわたしが小学校の三、四年生ごろの話だ。

今となっては検索してもほとんど出てこないし、地元の人間に聞いても「ああ、あそこね」と言うだけで詳しいことは誰も教えてくれない。だからここに書くことにした。誰かが同じ経験をしていたら、という気持ちと、もし知らないまま今もあそこへ行っている人がいるなら、という気持ちと、どちらが強いのかは自分でもよくわからない。

わたしが育ったのは、山と山のあいだに挟まれたような小さな町だった。県境に近くて、隣の県との境を走る単線の鉄道が、その町を東西に貫いていた。駅は二つあった。東側の駅は少し規模が大きくて、町の中心に近く、スーパーも薬局もそこに集まっていた。でも西側の駅は違った。

西側の駅には、駅員がいなかった。

無人駅というやつだ。ホームが一面だけあって、屋根付きのベンチが四つ並んでいるだけの、ほんとうに小さな場所だった。線路は東西に走っていて、西のほうへ行くと山に入るトンネルが待っていた。ホームに立つと、ちょうど夕方になると正面から陽が差し込んで、視界が全部橙色になった。小学生のわたしはその光景が好きで、塾のない日の帰り道、わざわざ遠回りしてそのホームに寄ることがあった。

立ち入り禁止、というわけではなかった。切符を持たなくてもホームに入れた。今思えばそういう時代だったし、そういう田舎だったというだけかもしれない。

最初に変だと思ったのは、五月か六月の夕暮れ時だった。

学校帰りに例のホームに立ち寄ったとき、ベンチに誰かが座っていた。老人だった。性別も、ちゃんと見ていたかどうか自信がない。ただ、着ているものが薄い色の着物で、季節に合っているのかいないのかわからなかった。わたしはそのとき、べつに怖いとは思わなかった。電車を待っているのだと思った。終電よりはずっと早い時間帯だったし、この駅を使う人は少ないけれど、いないわけではない。

気になったのは匂いだった。

ホームに上がった瞬間、ふわっと線香の匂いがした。強くはない。でも確かに、あの独特の甘くてどこか土臭い、法事の日に部屋中に漂うあの匂いが、外の空気の中にあった。隣の家でお葬式でもあったのかな、とそのときは思った。風に乗ってくることもある。でもホームの周りは駐輪場と田んぼだった。家は百メートル以上離れている。

老人はわたしのほうを見なかった。わたしも特に声をかけなかった。しばらくホームの端のほうに立って、橙色の空を眺めて、それだけで家に帰った。

それが最初だった。

次にホームへ行ったのは、一週間くらい後だったと思う。同じような夕暮れの時間帯だった。その日も、ベンチに人が座っていた。

今度は少し若い。でもやっぱり、着物を着ていた。そして同じ匂いがした。

わたしはそのとき、少しだけ立ち止まった。でも怖いというより、不思議だという感覚だった。おかしい、とはっきり思わなかった。子ども特有の、おかしいかもしれないけど深く考えない、というあの感覚で、その日もしばらく眺めてから帰った。

三度目は、それから数日後だった。

その日は夕方の六時を少し過ぎていた。夏が近い時期で、まだ空が明るかった。ホームに上がると、またベンチに人がいた。二人いた。並んで座っていた。二人とも着物で、二人とも線路のほうを向いていた。

そして二人のあいだに、お盆のような、平たいものが置いてあった。

そこに何が乗っているのか、見えなかった。わたしは少し離れた位置からしか見ていなかったし、陽が正面から差していたせいで、二人のシルエットがほとんど黒くつぶれて見えた。ただ、そのお盆みたいなものだけが、やけに白く光って見えた気がした。

匂いは、これまでよりずっと強かった。

これ以来、わたしはしばらくそのホームへ行かなかった。怖くなったというより、何となく、行ってはいけない気がした。子どもながらに。

理由を誰かに話したわけではなかった。親に言っても「変な子ねえ」と笑われる気がしたし、友達に言ったら遊びに来ようと言われそうで、それも嫌だった。わたしはそのまま、夏のあいだはずっと別の道で帰るようにしていた。

でも秋になって、わたしは再びあのホームへ行ってしまった。

九月か十月のはじめごろ、わたしはひとりで学校帰りに寄り道をしていた。どうして行こうと思ったのか、正直なところよくわからない。子どもって、そういうことがある。怖いと知りながら近づいてしまう場所というのが、必ずひとつやふたつ、あるものだ。あのホームはわたしにとってそういう場所になっていた。

その日のホームは、がらんとしていた。誰もいなかった。

安堵した。あの人たちがいなかった、という意味で。でも、匂いはあった。

誰もいないのに、線香の匂いがする。それどころか、もうひとつ、別の匂いが混じっていた。誰かの家の匂い、とでも言えばいいのだろうか。線香の匂いに似ているけれど、もっと湿っていて、古い畳と、煮物と、木の床が焼けたような匂いが全部まとまったような、あの感じ。おばあちゃんの家に行ったとき、玄関を開けた瞬間に漂ってくるあれに似ていた。でも、おばあちゃんの家のそれとは違って、知らない家の匂いだった。

わたしは知らない家の匂いをそこで嗅いでいた。

外で。誰もいないホームで。山の夕暮れの中で。

そのとき初めて、本当に怖くなった。

体が動かなかった、というほどではない。ただ、足が止まった。呼吸が浅くなった。早く帰ろうと思った。でも帰ろうとして振り返ったとき、わたしはホームの入り口のほうに、誰かが立っているのを見た。

背の低い、人影だった。

大人ではなかった。子どもの背丈だった。同い年くらいか、もう少し小さいくらいの。でも顔が見えなかった。ちょうど逆光で、シルエットしかわからなかった。

その子はじっとこちらを向いていた。

動かなかった。声もしなかった。ただ立っていた。

わたしは、「だれ?」と声をかけようとした。声が出なかった。喉が絞まったみたいに、音にならなかった。

そのまま数秒、お互い動かなかった。

そのうち、向こうのシルエットが、ゆっくりと首を傾けた。

右に、傾けた。

それだけだった。でもわたしはそれで走った。ホームの反対側の端まで行って、高さのない部分から線路際に降りて、そこから土手を上がって、田んぼのあぜ道を走った。家まで走って、玄関に飛び込んで、鍵を閉めた。

その後、わたしはあのホームへは二度と行かなかった。

誰にも言わなかった。ずっと言えなかった。

大人になって、その町を出て、別の場所で暮らすようになって、気づいたらそのホームのことをほとんど考えなくなっていた。忘れていた、と言ってもいいくらいだった。

でも去年、実家に帰ったとき、母親がふとした話の中であの駅のことを口にした。

「そういえば西の駅、昔から供養のために来る人が多かったって話があってね」と言った。

聞き返すと、あのあたりの土地はもともと、戦前に集落があって、水害で流されたのだそうだ。その後ずっとあのあたりは田んぼになって、鉄道が通って、駅ができた。詳しいことは母親も知らなくて、「昔の人がときどき手を合わせに来てたって、おじいちゃんが言ってた気がする」というだけだった。

わたしはそのとき、着物を着た人たちのことを思い出した。

お盆みたいなものを持っていた、あの二人のことを。

もしかして、あの人たちはただ、誰かに供物を届けに来ていただけだったのかもしれない。そう思えば、怖くなかったのかもしれない。

でも、あの子どもは何だったのだろう。

首を傾けた、あのシルエットは。

わたしは今もそれがわからない。大人になった今のほうが、むしろわからなくなった。土地の話として整理しようとすると、あの子どもだけが、どこにも収まらない。

もしかしたら、わたしが何度もあのホームへ行ってしまったことで、何かの境を踏み越えていたのかもしれない。大人が来るのは供物を届けるためで、そこには作法があって、越えてはいけない時間帯とか、越えてはいけない回数とか、そういうものが本来はあったのかもしれない。

子どものわたしにはわからなかった。誰も教えてくれなかった。

今これを読んでくれているあなたに、ひとつだけ聞いてみたい。

あなたの家の最寄り駅に、何番線まであるか、きちんと確認したことがありますか。

路線図に載っていても、自分の目で数えたことがない番線というのが、もしあったとしたら。夕暮れどきに線香の匂いがしても、急いで帰る理由が自分でもわからなくても。

どうか、越えないでいてほしいと思う。

何かの境というのは、たいてい、越えてからじゃないと気づけないものだから。

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