叔父の家の時計について

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亡くなった叔父の家を片づけていた私は、家中の時計がすべて正確な時刻より数分だけ進んでいることに気づいた。それは叔父の癖だと聞かされたが、調べるうちに、その「数分」には別の意味があったように思えてならない。

叔父が死んだのは、私が三十二歳の秋のことだった。

正確には「亡くなった」という表現が正しいのだろうが、どうも私にはその言葉がしっくりこない。叔父は——母方の末弟で、私より十歳ほど年上だった——特に病気を患っていたわけでも、事故に遭ったわけでもなく、自宅で静かに息を引き取ったとされている。朝、起き上がれなかっただけで、苦しんだ様子もなかったと、発見した近所の人から聞いた。五十三歳という年齢を思えば、あまりにも唐突な死だった。

叔父は生涯独身で、山あいの小さな町に一人で暮らしていた。母の実家がある町から車で一時間ほど入った、県境に近い集落だ。周囲に民家はほとんどなく、叔父の家は古い二階建ての一軒家で、広い割にはがらんとした印象があった。子どもの頃に何度か遊びに行ったことがあるが、薄暗くて静かで、あまり好きな場所ではなかったのを覚えている。

叔父には子どもがなく、兄弟姉妹の中でも特に親しかったわけでもない。それでも、遺品の整理は親族でやろうということになって、私は休みを取って現地へ向かった。母と、叔父の兄にあたる伯父、それと私の三人で二日かけて片づけをする予定だった。

その家に足を踏み入れたのは、叔父が亡くなってから三週間ほど経った頃だった。

玄関を開けると、かすかに黴と木材の混ざったような匂いがした。照明をつけると、思っていたよりずっと整然とした室内が現れた。書類や本は棚にきれいに並べられていて、台所も汚れていなかった。叔父が几帳面な人だったのは知っていたが、一人暮らしの家とは思えないほど片づいていた。

母と伯父が二階の荷物を確認しに上がった間、私は一階をぐるりと見て回った。

最初に気になったのは、居間の壁にかかっている時計だった。

白い文字盤に黒い針の、ごく普通の丸時計。特別古いものでも、凝ったデザインでもない。ただ、時刻が妙だった。私の腕時計と比べると、七分ほど進んでいた。電池切れで止まっているわけではなく、秒針はちゃんと動いている。単純に、正確な時刻より先を指していた。

最初は「そういうものか」と思った。進み気味の時計は珍しくないし、叔父が意図的にそうしていたのかもしれない。余裕を持って行動するために時計を進めておく人は、世間にそれなりにいる。

だが気になって、台所の電子時計を確かめると、そちらも同じように七分進んでいた。私のスマートフォンと比較して、確かに七分。続いて玄関の時計も——叔父の家には驚くほど時計が多かった——それも七分進んでいた。

そこで初めて、少し奇妙だと思った。

時計を進めておく人でも、複数の時計をすべて同じ分数に合わせるだろうか。一つひとつ確認して揃えるには、かなりの手間がかかる。しかも、それが七分というのが、何とも中途半端な数字に思えた。五分や十分なら「区切りのよい数字」として理解できるが、七分というのはどうも説明がつきにくい。

伯父に聞いてみると、「あいつは昔からそういう癖があった」と笑った。「遅刻が怖くて時計を進めておくタイプだったんだよ。子どもの頃からな」という答えが返ってきた。それで私は一度納得した。

片づけは二日かけて進んだ。大部分は地域の回収業者に依頼することになり、私たちは主に書類や貴重品、形見になりそうなものを選り分けた。叔父の書き物はほとんど残っておらず、日記のようなものもなかった。

作業の途中、私は叔父の寝室の棚に、古い小型の目覚まし時計を見つけた。金属製のベルが二つついた、昭和の雰囲気が漂うものだった。ゼンマイ式で、電池も使わない。それでも、この時計もやはり七分進んでいた。手巻きのゼンマイ式時計で、あの家の他の時計と同じ分数に合わせるというのは、偶然では説明しにくい。叔父は意図的にこの時計を七分進めていた、ということになる。

もうひとつ、気になったことがあった。

叔父の寝室の窓の下に、古いノートが一冊あった。表紙には何も書かれていない、無地のノートだった。捨てるつもりで開いたところ、中はほとんど白紙で、最初の数ページだけに文字が書かれていた。内容は、日付と時刻の羅列だった。

たとえば、こんな具合だ。

「○月×日、午前三時十四分」
「△月□日、午前三時二十一分」
「◇月○日、午前三時七分」

日付は去年から今年にかけてのもので、数十行にわたって続いていた。何の時刻なのかは書かれていない。気温なのか、血圧なのか、それとも何か別のことの記録なのか、まったくわからなかった。最後の記録は、叔父が亡くなる一週間ほど前の日付だった。

私はそのノートを黙って自分のバッグに入れた。捨てる気にはなれなかった。

帰宅してから、母にそのノートのことを話した。母は少し考えて、「お父さん——私の祖父のことだ——も時計を進める人だったよ」と言った。「でも七分って、そんなにきっちり覚えてないけど」と続けた。

その言葉が妙に引っかかった。

叔父の時計が七分進んでいた。そして叔父の父、つまり私の祖父も時計を進める習慣があった。祖父は私が生まれる前に亡くなっているので、直接知ることはできない。

しばらく経って、私はノートの時刻をあらためて眺めた。

気づいたのは、すべての時刻が「午前三時台」だということだった。それも三時一分から三時二十数分の間に、ほぼ収まっている。これが体調の記録なら、毎晩その時間に目が覚めていたことになる。ひどい睡眠障害だ。あるいは、毎晩その時間に何かが起きていた、という記録なのかもしれない。

私は試しに、記録されている時刻のいくつかから七分を引いてみた。

三時十四分は、二時五十七分になる。三時二十一分は、三時十四分になる。三時七分は、三時丁度になる。

七分を引いた時刻を並べると、二時五十分台から三時十分台に収まる。七分進んだ時計の世界では「三時台」と感じていても、実際の時刻では二時台や三時ちょうど頃だったことになる。それが何を意味するのかは、私にはわからない。

ただ、一つだけ、妙に鮮明に思い出したことがある。

子どもの頃、叔父の家に泊まったことが一度だけあった。親戚の集まりがあって、私は叔父の家の二階で寝かされた。夜中に目が覚めて、階段を降りようとしたとき、居間に明かりが見えた。叔父が一人でテーブルに座っていた。何をしているのかはよく見えなかったが、じっと壁の時計を見ているようだった。

翌朝、「夜中に起きてたの」と聞いたら、叔父は少し困ったような顔をして、「ちょっとね」と答えた。それだけだった。

あのときの時計も、たぶん七分進んでいた。

叔父が毎晩午前三時台に目を覚ましていたとすれば、それは何年続いていたのだろう。ノートに記録が始まったのは去年からだが、その習慣がいつ始まったのかはわからない。記録する前から、ずっとそうだったのかもしれない。

もうひとつ、後から知ったことがある。

片づけのとき、地域の人が世間話として教えてくれたのだが、叔父が住んでいたあの家は、もともと叔父の祖父——私の曾祖父にあたる——が建てた家だという。叔父はそこに一人で入って、長年暮らしていた。その曾祖父が亡くなったのも、あの家の中だったと聞いた。

そして、その曾祖父もやはり時計を進める人だったと、地域の古い人が言っていた。

七分かどうかは、わからない。

ノートはまだ手元にある。読み返すたびに、あの時刻の羅列が何を意味していたのか、考えてしまう。叔父は毎晩、七分進んだ時計を見ながら、実際より七分先の夜中を生きていた。その七分のあいだ、叔父は何を見ていたのだろう。

あるいは、七分という余白は、何かを遠ざけるためのものだったのだろうか。七分だけ先を生きることで、何かと擦れ違うように。

答えはどこにもない。

ただ、最近、私は自分の腕時計が少しずつ進んでいることに気づいている。先週確かめたとき、三分だった。今日確認したら、四分になっていた。

電池を替えたのは、ほんの二ヶ月前のことだ。

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